蝶を見て思い出すこと

夏の始め、散歩中に、道ばたに横たわっている蝶を見つけ、手に取って、しばらく一緒に歩きました。

手に乗ったまま、こちらを見て羽を一生懸命広げているようで、思わず感情移入。

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蝶をじっくり見ていると、「胡蝶の夢」という中国の話を思い出します。荘周という男が自分が蝶になった夢を見た話で、すっかり蝶になりきって飛びまわり、忘我の幸せを感じるほどだったのだが、やがて目を覚ませば、そこには紛れもない自分がいる。さあそこでわからなくなる。あのときの私は人間で、自分が蝶になった夢を見ていたのか、それとも今の私は蝶で、自分が人間である夢を見ているのか。

この話の出典は荘氏(Zhuangzi)で、英語圏でもある程度知られていて、例えば次のような英訳があります。

“Once upon a time, I dreamt I was a butterfly, fluttering hither and thither, to all intents and purposes a butterfly. I was conscious only of my happiness as a butterfly, unaware that I was myself. Soon I awaked, and there I was, veritably myself again. Now I do not know whether I was then a man dreaming I was a butterfly, or whether I am now a butterfly, dreaming I am a man.”

このお話、人生振り返れば夢かうつつか、栄華も幸せも短く儚いもの、といった風にまとめられることもあるようです。なるほど、強者が弱者の犠牲の上に殺戮と国盗りの日々を送った二千数百年前の中国は戦国時代の枯れ野に咲いた一輪の小百合のような想いではある。

すこし誇張した結論かもしれませんが・・・

 

 

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