トールキンの野球帽

ベースボールキャップが好きになってからもう10年近く経つ。太古、小学生の頃、絵の塾があった幼稚園の園長さんが監督になって、野球チームが結成され、ジャイアンツの広岡が好きだった私に、親が背番号2のユニホームまで作ってくれた。今はウォーキングや買い物はもちろん、家の中でも被っていることが多い。なんだか、チャーリー・ブラウンの友だちライナス君の安心毛布security blanketのようなところがあるのかもしれない。

ターゲットスーパーマーケットで見つけたのがこれだ。

「さすらっている、迷ってはいない」。これを被ってウォーキングとはしゃれている。

数日後、ぶらぶら本屋をうろついていたところ、このカードが目を引いた。なんと――

さまよう者すべてが道に迷っているわけではない。

そうか。ターゲットの帽子はここから来ていたか。これといった目的もなく本屋を彷徨していた私がEureka!となった。いかすじゃないか、トールキン。

樅の木はたくさん残った

クリスマスの期間は12日。1月6日が最後になる。関東の松の内も6日あたりで松ヶ枝の供養をすることもあるが。

英語島では本土から輸送された樅の若木が12月に販売される。


人気なのは枝が見えにくいnoble firノーブルモミだ。

そしてご用済みになったモミは、住民がそれぞれ車でゴミ集積所に運んでくる。

年末に処分する人もいる
ブルドーザーが整える
環境保護の意識がある人をFIRiousにするモミの山
All fir Christmas …

こうしたツリーに関し、この島では粉砕して園芸・農業用のマルチ(土壌被服材)にする。ひとつのリサイクル法ではある。

ロバートフロストのあの詩がみんなのものに

2019年1月1日 私の好きな(というより世界中の何億という人々が好きに違いない)詩人ロバート・フロストの詩がまた一編パブリックドメインに入ったという。ピューリッツァー賞4度受賞の詩人。詳しくはこちらで。https://www.washingtonpost.com/history/2019/01/01/robert-frost-wrote-this-masterpiece-about-minutes-it-belongs-all-us-now/?utm_term=.2c12a372e0cd

上のサイトにはその詩も掲載されている。シンプルな語彙と文構造、かつ深い感銘。うれしさ余った結果の大急ぎの拙訳はシンプルかつシンプル(無韻ご容赦)。

雪の降る夕刻に森の横で止まる

これが誰の森なのか たしか私は知っている
彼の家は 村にあるけれど
彼には見えまい  私がここで止まっているのは
彼の森が 雪で満ちていくのを見つめるために

私の小馬は 奇妙に思うに違いない
農家が一軒もないところで止めたことを
この森と 凍った湖の中間で
一年で 最も暗い夕刻に

彼は馬具の鈴を一度鳴らす
何かの間違いではと問うために
音はと言えばあとは吹き抜ける
強くない風 綿毛のような雪

森は 美しく 暗く 深い
だが守るべき約束が私にはある
何マイルも行かねば 眠る前に
何マイルも行かねば 眠る前に

以下 原詩です。

Whose woods these are I think I know.
His house is in the village, though; 
He will not see me stopping here
To watch his woods fill up with snow.

My little horse must think it queer
To stop without a farmhouse near
Between the woods and frozen lake
The darkest evening of the year.

He gives his harness bells a shake
To ask if there is some mistake.
The only other sound’s the sweep
Of easy wind and downy flake.

The woods are lovely, dark and deep,
But I have promises to keep,
And miles to go before I sleep,
And miles to go before I sleep.

年末鶏物帖

近所一帯を我が物顔で歩き回る野生のニワトリferal/wild chickenたち。夜半を過ぎたあたりから鳴き出すと、あちこちの友人たちが呼応する。友だちが多いことは何よりだが、こちらにも事情がある。ホテルや市内で見ることはまずないけれど、住宅地にはそれなりに多い。一体彼らはいつ頃この島にやって来たのだろうとチェックすれば、ポリネシア人が舟内にヤケイ野鶏jungle fowlを飼いながらアイランドホッピングをしたことに始まるようだ。19世紀にはマーク・トウェインがこの島にやって来て、見事な紀行録をものしたが、そのボートの中にも鶏が鳴くシーンがあった。やはりうるさいとのことであったような。とにかくかなり前から我が物顔だったのである。この列島archipelagoの中でも特にK島は鶏の天下だ。20世紀後期のハリケーンで一般的な鶏を飼う鶏舎が多数破壊され、自由になった鶏たちはジャングルへ入り、古参の野鶏と交わって爆発的に広がったという。英語島は繁殖レベルはぐんと低いけれど、別にこちらとしては卵を頂くわけでも、取って食おうというわけでもないので、魚釣り用のタモと棒を合わせた自家製のチキンキャッチャーで捕まえ、箱に入れ、動物愛護協会に引き取ってもらう。需要はそれなりにあるようで、ランチでといっても昼時でなく牧場で、あるいは農場や家の庭で飼う目的で引き取る人もいるという。ちなみにこの列島は地殻と共に北へ日本の方面へ向かっているという。archipelaGOというくらいだから仕方あるまい。そのうち泳いで渡れる日が来るかもしれない。目を今に向け戻すと、現在までの鶏過としてはキャッチャーで2羽、協会貸与の檻trapで7羽ほどの鳥果があり、短い年末の期間に全ファミリーを愛護協会の庭に移したことになる。引っ越しは新しい文化を学ぶチャンスでもある。以下、思い出に残る鶏過を簡単に。

鶏逃がしたところ。近所の猫が入っている。ポカを越えて行くと・・・
カモフラージュしたのに、また入っている。キャットフードがえさだから仕方がないが。
おお1羽。このあと弾みがついて
6羽目あたり
そして大晦日、このtrapを返却する日。と、This is a first.過去にないこと。雄鶏roosterがにいらした!


 撮る物もとりあえず愛護鳩翁会へ。

動物愛護協会Humane Societyの勇姿
Knock, knock.
よくやっている

昨夜は花火が大量に打ち上げられ新年を迎えた。打ち上げ時間は制限があり、警察からの注意によると

Police are reminding the public that fireworks may be set off only between 9 p.m. New Year’s Eve (Friday, December 31) and 1 a.m. New Year’s Day (Saturday, January 1).   (このmay beはかも知れぬではなく・・・してよいということ)

大鶏物のあと、新年の夜は雄鶏氏のcrowingなしで大変静かであった。彼らは新天地で再会。捕まった雄鶏は寂しかったのかもしれない。 引っ越しは新しい文化を学ぶチャンスでもある。 とにかくこれでEverybody is smiling!

丘を越えて行こよ♪

雲 海 アレカ椰子

山というか丘というかとにかくまたひとつ越えることになった。

藤山一郎のヒット曲「丘を越えて」のように超軽やかには進まなかったけれど、ポカも越えて来た。

バスケットボール部にほんの少しいたからというわけでもないが、マイケル・ジョーダン選手の言葉はことあるごとに、ことないときも、励みになっている。2019年もこれかな。

I’ve missed more than 9000 shots in my career. I’ve lost almost 300 games. 26 times, I’ve been trusted to take the game winning shot and missed. I’ve failed over and over and over again in my life. And that is why I succeed.

私はこれまでのキャリアの中で9千以上のショットをミスし、300近いゲームに負け、ゲームの勝敗を決めるショットを任されて26回ミスしています。私は人生で何度も何度も何度も失敗しています。そしてそれが私が成功した理由です。

では今年もよろしく。皆さんお元気で!