庭の千草が主役ではない「庭の千草」

♫庭の千草も虫の音も・・・は「庭の千草」の出だしだが、原曲はアイルランドの”Last Rose of Summer”だそうだ。愛日の歌詞を見ると、

‘Tis the Last Rose of Summer left blooming alone
All her lovely companions are faded and gone
No flower of her kindred no rosebud is nigh
To reflect back her blushes or give sigh for sigh

そは晩夏に残され ひとり咲く薔薇
美しきともがらは みな色あせ果てぬ
身よりなく 開かんとする蕾みも見えず
その紅を愛で 溜息を返すものも無し

紅い薔薇のようだ。一輪ポツリと咲く。

日本語の歌詞。これはなぜかよく唄った。

庭の千草も虫の音も
枯れて淋しくなりにけり
あゝ白菊 あゝ白菊
ひとり遅れて咲きにけり

紅薔薇が白菊に変わっている。
季節はアイルランドの晩夏から日本の晩秋(2番に「霜」とある)へと進む。
そして日本版のタイトル付けは、原曲の「晩夏の薔薇」に倣ってはいない。
それと、当時の僕は、庭にいる千草さん・・・というイメージをかすかに認識していた節がある。
なぜ「晩秋の白菊」といった題名にしなかったのはここでは不明だが、これでは「白菊」へのフォーカスが甘くなるか。「ああしいらあぎく」と繰り返すところは声楽家になったような気がした。両者とも要するに遅れて咲くことの孤独がテーマのようだが、なにゆえ、これを結構よく唄っていたのだろう。
今回は一見意味の無い内容ではあるが、再見意味ある内容とは思えない。それもこれも過日目にした晩春の最後の桜数輪のせいだ。

あんこ天国の中央部に貢献したあとは、桜餅をつかむ指をべとつかせない衣として、存在感を持続する染井さん。 甘味こそあれ、ラストに咲く悲しみは感じられない。次は葉陰で貢献か。

a phrase to remember: 皆一緒なんです

大岡山の東宝コーパで見た総天然色『地球防衛軍』は、共通の敵を相手に世界がひとつになって戦うという、私にとって、そして多分日本映画史上でも初めての作品ではなかったか。会社が違うこともあり頼んでも無理だったろうが、小津安二郎は原節子が主役にならなければ絶対に撮らなかったろうし、 溝口健二は田中絹代と大船に飲みに行ったかもしれない。東宝の 黒澤明・三船敏郎コンビだって首を振ったろうし、大映の勝新太郎は俺一人で防衛するなら考えると言ったに違いない。
ゴジラやラドンは東京とか福岡など日本を狙ったが、話はそんなレベルではなかったし、あっという間に完成したパラボラアンテナみたいな最新兵器から、得も言われぬ音と共に光線が出る場面ではワクワクドキドキしたものだ。

いま、キュルキュル、バリバリ、ピロピロピロとはいかないのが辛い。そしてまとまりが崩れそうになるたびに 、ニュースキャスターやコメンテーターや知事や市長や市民は、

We’re all in this together.

と言う。言葉の綾もイディオムの妙もない、シンプルでファクチュアルな一言。間違いなく。

a phrase to remember: new normal 新しい日常?

元に戻る・正常に戻ることは

back to normal

と言います。normalは名詞。
ただ、いまこの現在の状況が日常になるとしたら。そんな場合はthe new normalと呼びます。以前アブノーマルとされていたものがノーマルになったものごとを指す。語源は
New Normal is a term in business and economics that refers to financial conditions following the financial crisis of 2007-2008 and the aftermath of the 2008–2012 global recession
とウィキペディアにあるありがとう。
これが様々な状況について応用されています。
「ニュー・ノーマル、あらたな常態」などと日本語化されているようですが、現在の状態が終わり、そうした「新たなノーマル」に適応することを
adapt/adjust to the new normal
それへ還ることを
get back to the new normal
と表します。

「物事が正常化すると」とは、
When things normalize / When things get back to normal
という言い回しがありますが、ご承知のごとく現在はこうしたフレーズが使いにくい状況。代わりに、
When things get back to the new normal
という表現が使われ始めています。

Back to the Future Iのような未来に行ければそのほうがベターだと想いつつ。
                    こもりのおじちゃま

影と遊ぶ

コイは育つ。20年も生きるらしい。50年という話もある。あの頃の川に戻ればまだいるかもしれない。覚えてはいないだろうがお互いに。その一生の間、植物もそれなりにあるのだろうが、ヒト以外の動物も採餌ばかりでなく遊ぶことがあるという。カラスなど人の言葉まで真似る。(これは群れから追い出された場合、人に世話してもらうための手というか嘴のようなものだとのことだから遊びとは言えないかもしれない。枝から嘴でぶら下がりパッと離してパッとまたくわえるようなこともするらしい)近隣の小川にコイを沢山見受ける。 この時勢か、水もなかなか清いし、遊んでいるように見えることが多い。 Carp have fun every day.ということか。
あのCarpe diem.はコイから来た?わけではなさそうだけれども、自分がコイならジャーンとか囁いてこうして遊んでみたい。

Flying carp

寝そべって演劇鑑賞 『フランケンシュタイン』

友人が教えてくれました。2つのTV人気シリーズでそれぞれシャーロック・ホームズを演じるカンバーバッチとミラー(SherlockとElementary)が共演する舞台劇。舞台の英語がテレビのそれと一線を画すところも体験できます。ファンの方にはお勧め。英国ナショナルシアター作品。
????開幕後しばらくの間はセリフがとても少ないです。

A phrase to remember: small pleasure 小さな喜び

大きな悲しみを見つけるのは、特にこの状況下では難しいことではない。ただ、小さな喜びを見つけることもそう困難なことではない。英語で、

 find pleasure in small things (小さなものごとに喜びを見出す)

人生・生活を加えて

 find pleasure in small things in life

「見つける」というより「喜ぶ」という意味に傾きたければ

 take pleasure in small things in life(人生の小さなものごとを楽しむ)

あ、それは自分では以前からやっていた、相変わらずのことだった。ただ、lifeの物理的な範囲が狭くなっている現在では、発見場所も制限されていて、逆にフォーカスが鋭くなっているかもしれない。例えば、常楽寺の門前にいた若い方。

この方はその人生、草生、ライフの中で芽が出てきたところだ。伸びていく時期なのだ。少しずつ世の中が見えてくる。訪れるヒトとの関係が心配だが、それはともかく私にはこの方の喜びを共有するモーメントがあったように思う。

別の場所ではこの方たちとの一瞬の交流も。

「やあ、どうですか?」「いいんじゃないですか」

a phrase to remember: on the other side of the curve

折れ線グラフ(line char/graph)や棒グラフ(bar chart/graphで、横ばい状態(plateauプラトー)から右下へカーブすれば、このフレーズが使える。その状態を

 We’re on the other side of the curve.(下降気味になっている)

と言う。上昇サイドにいたという状況が逆になったということ。We’re not on the other side of the curve yet.と否定形も使える。

まず

 We’re on the plateau.

そして「カーブ(曲線、折れ線)の反対側にいる」と言えるようになりたいものだ。言うは易し、行うはきよし。