強風の日のジョーク

花屋でおまけにもらった獅子唐が唐辛子だったことがわかり、それからは赤くなるまで待っては細い輪切りにして、漬け物、味噌汁、スープ、煮物、炒めもん、相手かまわず切ってはふりかけている。もう半年近くなるのに、そして冬も来たのに、この植物、鈴なり風になって頑張っている。おまけはおかちになっていて、それを撮ろうと近づいたが、強風下で揺れるの何の。伊達にボケているわけではない。

風が強い日に思い出すのが、あのジョークだ。
強風のせいでよく聞こえないという状況設定が面白い。
登場人物3名。全部で3行。「簡潔さこそウィットの魂」Brevity is the soul of wit.
長話が止まらぬデンマークの老人ポローニアスの言葉を借りずとも、このジョーク、笑いの魂を感じさせる。それが

A: It’s windy today!
B: No, it’s Thursday!
C: Me, too. Let’s go for a beer!

解説: AのwindyをBがWednesdayに聞き違え、いや今日はThursdayだと訂正するも、Cがそれをthirsty(喉を潤したいというヒント・ヒント)に聞き違えて、私もそうだから、みんなでビール飲みに行こう!

ずっと前にやったじゃん、という方もいるかな。ブログ歴もそれなりに、下戸歴はそれよりもっと長くなってきた小生だが、このジョークを想うと喉が騒ぐ。でノンアルを開けるのである。ま、いいか。

ありふれた平和への願い

trite「ありふれた」「新味に欠ける」「新鮮みに乏しい」と、形容詞+as+主語+may+動詞(主語が形容詞で動詞だろうが)という文章表現を使ったごく最近の発言だ。

  Trite as it may sound, I wish for world peace.  Elon Musk
  「ありふれて聞こえるやもしれないが、私は世界平和を願っています」 イーロン・マスク

 会話なら

  It may sound trite, but I wish for world peace. 
  「ありふれて聞こえるかもしれませんが・・・」

と言うと自然だが、改まって、襟を正した感じで発言したいという場合には、上の形が便利だ。

 triteとworld peaceを1文に納めたあたり、物づくりのみか文づくりにも見事さがあると思わずにはいられない。

 

  

  

年齢を尋ねられたら

冬来たり 枯れ桜葉の ワルツィング

 How old …?は最初に習った英語フレーズだったが、英語圏ではpersonal questions(立ち入った質問)の代表だ。だからといってマナー違反が無いわけではないから、次の定番の返事がある。

  (I’m) Old enough to know better (than to answer that/your question).

通常( )内は省略する。「答えないほうがいいことを知っている年齢になった」ということ。これで落着する。

  Old enough to forget my age.

これは我流。また、「それは機密情報」

  That’s classified information.

はなかなか良い。また、「(当てずっぽうでいいから)当ててみて」

  Take a (wild) guess.

と言えば、相手が躊躇し遠慮することもある。「またどうしてお尋ね?」

  Why do you ask?

とまず反応し、通常Just wondering.(いくつかなあと思って)が返ってくるので、上のどれかを使うという手もある。
 日本では実によくある質問である。もし「おじいちゃん、いくつ?」なんて、孫や曾孫でもない大人から訊かれたら、「もう食べたよ」なんて応えてどこかへ行ってしまおう。

ビタミンD-Day September in the Rain

梅雨知らずの北海道から7歳夏に東京に越したばかりの9月に長雨。しばらく姉や隣のお姉さんに手を引かれて登校した。雨が続くと気持ちが何とも暗いところに行きがちなのは、あの9月の雨のせいだ。
  ただし”September in the Rain”というスタンダード曲があって、これは嫌いではない。降っていたわね、枯葉と共に、思い出す? 雨のリズムと愛の言葉が呼応してた、いまはもう春だけど、私はまだあの雨の9月、と軽めに唄うJo Stafford版が気に入っている。閑話休題:小生は上のようなこともあって太陽ファンだ。過日は無風快晴ビタミンD日和に8千数百歩を歩いた。と書いただけで元気になるから不思議だ。おおっとこっちは倍だぜ、なんて元気な方も多いだろうが、張り合う気がまるでない。(日本語:「・・・歩歩いた」、字がダブる。英語:walked … steps ダブらない)
 浄智寺まで行き、共同ライターと柵の外から拝観。

秋の太陽。

おまけ:「オイシイ」と読んだ者がいる。

「最後の一葉」

冬桜を見て帰宅すれば、熱心なリスナーの方から新聞の投稿記事が届いていました。加藤さん、傍線も含め、ありがとうございました。

寄稿された井上さんは高校時代に聞いてらしたのですね。私も違う年号の同じ時代にOさんを知り染めました。市井の人々の人生を祝福するかのようなエンディングは、O. Henry endingというフレーズが生まれたほど素晴らしいもので、かつ最後まで読ませる最高の手だと思わずにはいられません。よく読みましたと祝福され、暖かい気持ちになるのでした。
 過去にOさんの作品は幾点もラジオドラマ化しましたが、やはりこの「一葉」は、テーマ性、構成、イントロ部のヴィレッジの描写、会話部分のリアルさと美文調の語りとの対比、そして最後の長ゼリなど、スタートからフィニッシュまで見事と思います。

見上げれば 秋の夜空に 冬桜

「精いっぱい生きる」のFULLについて

精いっぱいって? と考えながら一日をフルに使ってしまったりするとき、LIFEは鞘の中のKNIFEのようだと感じることがある。それはそうと英語では

  He lived a full life.

とか、

  She lived a/her life to the full.

と言える。相変わらず形容詞になったり名詞になったり英語は品詞苦ものだが、どちらのfullにも、容器の中に100%いっぱいに入ったイメージがある。

 ところが、同じ100%のperfectには”the perfectest”という最上級が無いのに(在るぞとばかり使われることもあるが)、THE FULLESTは特に人生に関してOKなのだからfullっている。

  She/He lived a/her/his life to the fullest.

と言える。溢れんばかりの人生賛歌だ、(X) lived the fullest lifeとはならないが。FULLYニュースで恐縮。この癖もFULLY払いたいものだ・・・