夏は朱、秋は白、冬は玄(くろ)。中国五行思想での四季の色分けという。
白秋の短詩。

The snow that falls on my blue fedora—
Is it the hand or the whisper from the past?
Or the sake, the mint, or the momentary tears?
O, how it all takes me back.
3月31日にひと月のホームステイが終わり帰国した。急いで川沿いの花見に出かけたけれど、それからあれこれあって、好きな夜桜を散歩しながらゆっくり見る時間がなかった。タチアオイがすくすく伸びて最初のつぼみをいくつもつけるようになって余裕が生まれ、白秋詩集「思ひ出」をめくっていたら、ある詩に、いいなあ、やりたかったなあという部分を見つけた。
さくらびと
月の大路へ
戸を出でぬ 北原白秋
五七調の詩には俳句始まりのようなものもあるが、この詩がまさにそうで、抜き出して俳句のようにしてみた。英語にしてみればー
Sakura-viewing lover
out the door, strolled away
on to the moonlit road.

昼桜の思ひ出
という状況が最近の出来事に多く見られる(というか「我が世誰ぞ常ならむ」ではあるが)。どっちをとっても非難や批判、あるいはダメな状況が待っている。こうすればあっちからああ言われる、ああすればこっちからこう言われる等々。
これを英語では、リズム(だけ)が良い次の常套フレーズで表すことができる。(”if I”をリンクして弱化するとうまくいく。頭のIt’sは、「あれですよ」「言ってしまえば」といった出だしに相当する)
(It’s) Damned if you do, damned if you don’t.
damnedは「地獄に堕ちた・堕ちるほど呪われた」という意味で、ヴィスコンティ映画『地獄に堕ちた勇者ども』(1969)の英語タイトルがThe Damnedだ。
フレーズに戻れば「やれば地獄、やらねば地獄」という訳もできそうだ。
というわけで、日常茶飯事を超えた状況での問題に関してよく使われている。

由来はエレノア・ルーズベルトで、次の一節から一人歩きを始めたという。
“Do what you feel in your heart to be right- for you’ll be criticized anyway. You’ll be damned if you do, and damned if you don’t.”
「内なる声に従って行動せよ」という勇気溢れる言葉とも受け取れる。
公園から人工的な敷物を除いた結果、児童の免疫力が向上したというポスト。
確かに地面に足をつけることは、特に裸足の場合、体に良いと聞いているし、実際にそうしたときに、何か有り難みのようなものを感じることが多い。この2葉の画像も説得力がある。

ただよく見ると、さすがフィンランド、樹木の成長速し。immuneがミススペルされている、綴り違いはよくあるにしても、、、kids’がベターだし、
「木を見て森を見ず」
Can’t see the wood for the trees.
とはよく知られたフレーズ(よく主語を省いて使われる)だが、この場合は
Can’t see AI for the trees.
という気もするが。 ただ、作成者の身になれば、樹木がないと、言いたいことがうまく伝わらないという気もする。 A I A I O.
富山のTAEKOさんから春の山草を多々頂戴。今朝は独活(ウド)を味噌汁で頂いた。
素敵な山草、山ウド。その姿、彩りにうっどりする。

まだ数本あるので楽しみにしている次第。有り難し。
味噌はといえば千葉のMITSUKOさん自家製で最近薄味となった小生には倍持ちそう。有り難し。
独活という漢字は「1本の木が風もないのに動くようだから」という由来のある立派な名で、木になった姿から来ているという。大きな葉がゆったりと揺れる様か。「大木」も目にしてみたい。3mになるが、幹が硬くないから、木材にも食用にもならず、幹が「うろ」なので「うろの大木」が変化したとも。諸説あるのだろうが、この説が自分の腑にはストンと落ちる。英語は長ーい学名のaralia cordataとか。スパゲティに合いそうだが、会話に出ない単に属するだろう。大陸や朝鮮半島で生育し、日本原産とのことで、短いudoやudo plantで通しましょうか。Udo?といぶかる相手には、Yes. Udon’t know how good it can be.で名前を覚えてもらっては。
今日の味噌汁メンバー勢揃い。

いただけます!
西沢杏子さんの虫たちをテーマにした詩を拝読していくと、児童文学という枠組みから羽ばたいて飛び出だしていく自分がある。たとえば「ふた星てんとう」のように、読後に牛より長い反芻が続いてしまったり、虫の姿を見たくなったりする。ゲンゴロウが、ミンミン蝉が、よくわからんヤスデや戸立て蜘蛛など、虫の面々が次々に登場しては、感動させたり笑わせたりむしゃむしゃさせたり驚かせたりする。
ふた星てんとう(「詩集虫の葉隠」より)
確かなものを ひとついおうか
はじめてきみと出会ったときの
きみの背中の赤い星
ぼくの背中ももってるはずの
ぼくには見えない赤い縁
たしかなものを もひとついおうか
はじめてきみに迫ったときの
きみの背中の赤い星
ぼくの背中ももってるはずの
ぼくには見えない丸い拒否
転倒しそうになって思い出すのが、米国のボクサー、モハメッド・アリの、”Float like a butterfly, sting like a bee.”「蝶のように浮かび、蜂のように刺す」なる名言。西沢蜂に刺されると、もう一丁!といって次へと進む。
短編集新刊です。Dr. Cats

西沢杏子さんのブログ:「虫の落とし文」https://www.ne.jp/asahi/mushino/otoshibumi/