あなたの嬉しいが見つかります、といった言い回しが流行・定着している。でもその”嬉しい”方式を会話に取り込んだことはない。世代的なものかもしれないけれど、そう話したらと考えただけで、身をよじるような気恥ずかしいcringyな気持ちになる。
このところ氾濫中のtoday years oldにも、このcringyな気持ちが伴う。意味は「今日初めて何かを知った・した」で、
I was today years old when I found out galakei is a blend of Galapagos and keitai.
のように使われ、ソーシャルネットワーク上に広がっている。訳は(X)「ガラケーがガラパゴスと携帯の混成語だと今日初めて知った」とノーマルで標準的な日本語にするのは控え、珍訳を試みれば、「・・・というのは知りたてのホヤホヤ」的な感じだろう。
todayとyears oldがまるで合わない。”今日歳”と言われても・・・。
そのどこか幼稚な不条理を楽しみながら書いているネイティブスピーカーが沢山いるようだが、実際に口に出せば、周囲で眉が上がり、眼がぐるりと回り、口許が下を向きそうだ。Stevie Wonderのヒット曲の”Yester-Me, Yester-You, Yesterday”(1969)を聞いたときにも感じたあのフィーリング。
頭のどこかで思い付いて捨てた思い付き。捨てずにデジタル化するとどこからともなくlikeが来る今。そう言うぼくは。
遠山先生、先生のラジオ講座に出会って約10年、多くのことを学びました。本当にありがとうございました。
英語も時代によって変わっていくのですね。確かに”today years old”には”cringy”な違和感を覚えます。日本語でも、「~なく、ない?」(文字では表現できませんが)といった私の世代には大いに違和感を感じるイントネーションを私は使いません。そのようなある種ふざけた言語表現を全否定するつもりも資格もありませんが、やはり私は「温故知新」、時代を超えて永続する普遍的価値ある言葉の表現者でいたいと考えています。
ところで遠山先生、もしかしてN○Kの朝ドラにご出演されるのでは?
朝ドラ それはcringeworthyな! はは
10年間お聞き頂きありがとうございました。
朝は路地のどら猫に声を掛ける程度で、朝ドラかに声を掛けられてはいません。
テレビを見ないので、NOKも不案内。それでも不安無いのが不思議です。
See you down the road!