と、恐怖小説の王、スティーヴン・キングが言ったからといって、モダン・ホラーを書く必要はないのであって、直近なら日記でも、より短い「分記」や「秒記」でもよいわけで、もちろん、『草枕』的に、商店街を歩きながら考えた、玄関のドアを開けたときにふと考えた、『夢十夜』式に、昨夜こんな夢を見た、英語でなら
I had a thought walking down the shopping street last night.
A thought came to me just when I opened the front door this morning.
I had this dream last night.
と、あるひとつにフォーカスすることも。あるいは”借文”で
Someone told me long ago that I needed to relax.
ペットのいる方は
I love when/that my cat meows at me.
キング氏は端から王だったわけではなく、最初はプリンスでもナイトでもメッセンジャーでもジェスターでも馬でもハンプティ・ダンプティでも何でもなかったわけで、上の言葉は映画作家へのアドバイスですが、アドバイスは人様にアドバイスなど出来ない状態だった頃の、あれでうまくいったのかも!を、このように後知恵でまとめたものが良いと私は思います。
私は「ずるいと言えばずるい訳なのですが、ただ忙しいと言えば忙しい訳でして、こんなに遅い返事になってしまい、言い訳の言葉もありません」と言いながら随分書いたりしゃべったりしてしまうタイプに近いところがあって、アーネスト・ヘミングウェーがボクシンググラブ付きで一歩一歩こちらに向かって来る姿を心に描くことも。
拙ブログを始めたときは大変恥ずかしかったのですが、それが今も変わっていないのですが、「が」が続いていますが、これは直すかもしれませんが、一方「野原の松の林の陰の小さな小屋・・・」のように「の」が続いても、子供として7年過ごした日本の東京の目黒区の私たちの家の台所の入口ののれんが「雨にも負けず」で、その「の」の響きの良さの魅力の虜となってしまい、Kenjiが良くてKenが悪いのかと大宮沢さんに刃向かっても競んないことですが、noはYes!と、一向に「の」の癖が消える気配がなく、宮司の祝詞を聞くとワクワクし、「ほらあの大昔の博多の家の隣の中橋さんのところのあの看護婦さんのお姉さんの名前、何だっけ」「博多の最初の家の隣の中橋さんて理恵子さんのこと?」といった会話を耳にするとゾクゾクし、フォーカスを次第に強めつつ進む「の」のひたむきな姿が頼もしく思えてなりません。ルールはあるかもしれませんが、「読む」は良いとして「書く」の実践するのは和英どちらでもなかなか良いことだというお話。