18歳から数百年の付き合いとなった大津幸一さんを尋ねました

最近しばらく会わないぞと気付いた大の出不精が一念発起して10月下旬に新幹線に乗った。仙台から仙石線で、盆石の題材のような東松島あたりの風景、千数百年前の多賀城跡、インディアナジョーンズは決して降りないであろう蛇田などを越えて終点へ。北上川河口付近と石巻市を一望する日和山公園に案内される。展望台に立つと、2011年3月の轟音と、それを消し去らんと鳴り続く復興の槌音とが、同時に聞こえてきた。

長年のラジオ番組「いんぐりっしゅ喫茶室」を執筆・放送する大津君は、当時ワシントンポスト紙の取材に協力し、専修大を退官した後も、様々な形でコミュニティに貢献している。近々本が出るとのことで楽しみだ。 

往時も今も語劇の盛んな大学では、シェイクスピアや現代劇など、英語での芝居を共にし、山手線だったか西武池袋線だったか都電荒川線だったか全部だったか、とにかく幾度も度胸試しに車内英会話をしたなぁ。若気の至りかしてやったりか。
 夜、北上川沿いの店で夕食を頂く。長く高く真新しい土手、半月、外気やや寒く。久しぶりに差しで。

翌日は海外でも活躍され、かつ話まで上手なピアニスト杉元太さんがショーファーに! さらにうなぎ店でご馳走に。重箱には二つ重ねになった美味なるうなぎ。これが本当の三重層! を堪能。ショーファー、ショーグッd。さらに、お店のオーナー共々食後はカルテット。

お隣の陶器店のオーナーは小学校の同級生とか。震災で店舗倒壊、丘の上にある被害小の大津家に、ご一家で風呂を借りに行っていたとか。うなぎ店も同じく倒壊、ということは入口の木は・・・。

一泊二日はアァっという間。話は尽きず時尽きて、幸さん、元気でなにより。ありがとうございました。またです。

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