上級生たちの歌声

ジュラ紀の頃だったろうか。授業中だったか下校時だったか、小学校か中学だったかすら覚えていないが、とにかく上級生たちが歌う声が聞こえてきたなぁと今日また思いだした。そのときは知らなかったが、「灯台守」というタイトルで「こおれるつきいかげ」という出だしが鮮やかに耳に残っている。混声だったろうか、女声が響いた。(女子が音楽、男子が体操だったのか。それはないか。)「凍れる月影」か、と思うまでには年月があったけれど(その前に「氷れる月影」という氷河期があったが)、身の引き締まるような斉唱。その声は「こうした歌も含めて私たちはあなたよりとても大切なことをずっとよく知っているんだよ」と語りかけるように思えた。

歌を唄う者は歌う唄の歌詞だけでなくその世界をしっかりつかんでいる、聞く者をそんな気持にさせるのが歌なのだなと。そしてその歌を唄えばそんな世界を自分もつかみ内在させることができるかもしれないと。だから歌詞を覚えて唄うのかも、英語の歌もそうした夢を持って、言葉の壁を越えて覚えるのかなと思う。

「灯台守」がネットにあった(何でもあるなあ)。作詞勝承夫 。仮名の部分を漢字にすると

凍れる月影 空に冴えて
真冬の荒波 寄する小島
思えよ 灯台守る人の
貴き優しき 愛の心

これは賛美歌It Came upon the Midnight Clear「天なる神には」からとある。そうだったのか。聖歌の旋律を孤島へ流したその心は何だったのか。

そして勝氏は「夜汽車」も書いていた! 「灯台守」はなぜか唄うことがなかったが、「夜汽車」はよく唄った。英語ならIf I Were a Birdというドイツの歌が原曲とある。その旋律を夜中の線路に引っ張って走らせた機関車よりも強い力とは何だったのか。そして自室でじっと耳を澄ますような、夜更かしをして窓からそっと見詰めるようなこの歌詞だったなぁ。

いつもいつも 
通る夜汽車
静かな
響き聞けば
遠い町を 思い出す

闇の中に
続く明かり
夜汽車の
窓の明かり
はるかはるか 消えてゆく

声楽家がこれ見よがしにさあ聞けとばかりに唄うより、子供がなにげにあるいは懸命に唄うのがよいなあ。「明かり」がダブるところがなぜか気になったことも思い出す。そして蒸気機関車を思い出す。煙が消えたりもうもうとしたりするホームの駅弁売りの鰻弁当を、親が窓から身を乗り出して買ってくれた霞ヶ浦の駅・・・しりとりのようだが駅の歌となればやはり 昭和紀は世界大戦後の「哀愁列車」1番のメタファーだろう。

惚れて惚れて
惚れていながら行く俺に
旅を急かせるベルの音
つらいホームに来は来たが
未練心につまづいて
落とす涙の 哀愁列車

ついでに発車後3番のメタファーもまた。これは「のような」があるからシミリーとなるか。

泣いて泣いて
泣いているのを知らぬげに
窓はふたりを遠くする
こらえきれずに見返れば
すがるせつない瞳(め)のような
星が飛ぶ飛ぶ 哀愁列車

Heartbreak Trainでジャズってもいけそうか 
謡曲か やはり美智也か
それもこれも勝承夫氏ありがとう

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