人類、月、地球

駅ビル内のある店でビックリ大特価セール! 商品を見て思わず口がWhere?の形になる。

それはMan goes--where?という質問のwhereだ。

月面のアストロノートのことばを音声で聞くと、That’s one small step for man, one giant leap for mankind.と聞こえる。manもmankindも「人類」のことだから、「今のは人類にとっては小さな一歩、人類にとっては巨大な跳躍」となる。

引用辞典などでは、Actually, it was….という気持ちを込めて

  That’s one small step for [a] man, one giant leap for mankind.

と、aを括弧付きで加えてある。これだと「今のは一人の男にとっては小さな一歩、人類にとっては巨大な跳躍[という意図です]」となる。1969年、世界の同時通訳者たちも一瞬困ったに違いない。

 ただ、aのない引用も多く出回っている。単なるアストロノートのミスと取るか、豪腕に月からの音声不良と解釈するか。ネット上に散見できるので、一度チェックされるのも一興かと。

 という訳で、a(やthe)のないmanには「人類」の意味がある。ジェンダーニュートラルの観点から、manやmanで始まるmankindをやめて、humankindで行こうという考え方もある。

 月は置いといて、manは今どこへ。manが壊していく地球のどこに行きましょう、どこで生きましょう。

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I’ve never been this old.

今朝、カラバサスからのビデオ電話に、こんなに年取ったのは初めてだよ、と言ったら、義理の息子のミゲル君が笑って、Congratulations!と返してくれた。
 同じ朝、ベランダに、飛ぶのは数度見かけたナミアゲハが初めて停まっていた。蝶うれしい。

「ナミ」は「波」じゃなくて「並」なんだね。つまらん名をつけるもんだぜ、格付けなどするんじゃないぜ、きみはサイコーだぜ、と思う心を読んだのか、ドアを開けたらゆっくり飛んでいった。
 テーブルにはカミサン手作りのケーキ。初めて見る。今回時間がなく、ドウナツたかなと思っていたところ。真ん中にぼくが好みのフレンチクルーラー。ローソクもぐさぐさと。火がついて。ひと昔前のSF火星探査船のよう
だ。

The Birthdo Cake

Hi ho. It’s off to Mars we go.
Made a wish and blew out the candles.

The eagle has landed.

And my cucumber phone was well-recieved.

カードは、中を開くと …ish.とあり、表紙と合わせると

YOU’RE STILL YOUNG…ISH.となる。
youngishと言われても気を悪くしない演技が出来るうちはyoungishでしょう。

「来た、見た、勝った」をひねる

タイトルはジュリアス・シーザーの有名な言葉、I came, I saw, I conquered. の定訳です。
紀元前47年、現在のトルコでの戦闘に数時間で勝利したことを、ローマへの書簡に表したものです。

 この和文を、バーゲンセール場に置き換えてひねると: 「来た、見た、買った」

 同じシチュエーションにして英語版をひねると: I came, I saw, I grabbed (a bargain)!

grabは「(バーゲンを)しっかりゲットする」の意味。

 オリジナルのラテン語は、Veni, vidi, vici.

 これをひねったものが既にあって: Veni, vidi, VISA.

 クレジットカードです。

 「買った」とgrabbed (a bargain)は僕のオリジナル、だと思いますが、もう既に、、、ということも無きにしも非ずなので、「希望」を持って、しばらく調べないようにします。(^_^)

 ちなみにVeni, vidi, vici.の読み方には、英語風の「ヴィーニー、ヴィーディー、ヴィーチー」あるいはラテン語風の「ウィーニー、ウィーディー、ウィーチー」があります。

We came, we saw, we went on. PHOTO: Melissa

人生唯一不変なるものは変化なり

The only constant in life is change.

 古代ギリシャの哲学者ヘラクライティス(邦名ヘラクレイトスなど)の言葉。

 30代は人生50年、50代は人生64年と、小田信長の口癖やポール・マッカートニーの曲名を引っ張っては酒を傾けていた自分が、上戸を止め、マッカートニー氏には僅かに負けつつもまだ生きている。
 黒電話からアイフォン、手回し絞り器付き洗濯機からウォッシャードライヤー、タイプライターからパソコン、氷屋来たる冷蔵庫から冷凍冷蔵庫。もちろん黒電話、手回し、タイプ、氷冷庫以前にも生きていたから長~い。どんだけの新製品を通過してきたのか気が遠くなるほどで、その内のどれ一つとして自分で発明していないのが不思議なくらいの長期間である。何もかも変わるのが唯一変わらないことなのだなあ。その諸行無常というか医業無常というか、実に身近な例がここに。

こういう白抜きも。

 New new new normalかな。
 大昔、「90足す自分の歳」と言われて青春を生きていました。何のプレッシャーもなかったなあ。血圧に関してはだけれども(笑)。

 

曲がり生りにも

Curlingという現象です。curled cucumbersなら頭韻です。

鯛は腐ったら大変ですが、胡瓜は曲がっても胡瓜。
一時的な水不足や栄養不足でそうなることがあるけれど、挽回すれば、曲がった腰がすこし伸びたり、サイズがしっかりしてきます。元々水分95%ですから、曲がってても味は変わらない感じ。
ネット上の栽培のプロのサイトでは、曲がっていても美味しいとは、海が割けても言わないけれど、スーパーに出さないアマの自分は捨てません。
キューリはキューッというまっすぐ感のある音ですが、ぼくはカーリでも食べます。見た目より食べた口。見た目だって、曲ったキュウリはわびさび。そうだ今度ワサビで食してみよう。のう休利、いや利休殿。

必要は介入の母?

ことわざ「必要は発明の母」は、おなじみの

  Necessity is the mother of invention.

今回また円ドル相場に介入interventionがあり、ことわざをもじれば、

  Necessity is the mother of intervention.

となる。ひょっとして、でかしたかな? これ、初出かな? 

  Is this a first?

オンラインすれば心配は的中。すでに出回っている。

  It’s been around.

昔はこうしたときに希望を抱き続けたものだが(知るよしもないので)、これはAI時代にそぐわないのかも。

  Hope is a good thing.

と言ったのは『ショーシャンクの空に』の主人公。
この時代、

  It still resonates with me.  

未だ心に響くね。

♬You like to-may-to, I like to-mah-to …

毎日それなりに採れていたミニや中玉のトマト。

それが今は元気がなく、黄色い花が緑の実にならない。キューリは9月で終わるし。みなさん、ストップの時期をよく覚えているなぁ。

今回のタイトルは、”Let’s Call the Whole Thing Off“の一節。あなたはああ言う、わたしはこう言う、こんな関係キャンセルしよう、と提案するも、

But oh if we call the whole thing off,
Then we must part
And oh if we ever part then
That might break my heart

と気を取り直すという、大人が謳うには可愛すぎるようなヒット曲。(ガーシュウィン兄弟作・ミュージカルShall We Danceより)

この二人はキャンセルなしで旅を続けそうだ。♬

Riki and Mori at a lake. PHOTO: Melissa, their mom