「打ち出せ、荒ぶる鐘」で良いお年を!

大晦日がまた来ている。まだぼくもいる。それは風邪引きの頭にもわかる。頭と言えば2019年、このTを買った。20-20は視力がノーマルという意味だ。”I Can See Clearly Now”の歌を引用し、来年はもっと世界がはっきりと見えますようにと、当時担当していたラジオ講座新年号の頭に書いた記憶がある。(やっと頭が出た!)

あれから6年。視力のぼやけが少々始まったが、物事ははっきり見えてきている。人生のこの時期に来てのunseeやunlearnにはかなりきつい部分もあるが、6年でかなり慣れてきた。固執していたものから解き放たれるモーメントを悪くないかもと思えるのは、ぼくの小人生からの大きなボーナスだと受け取ることにする。来年はもっと深く大きく見えてくるかも知れない。それには恐れもつきまとうが、この1850年に発表されたテニスンの詩に希望を託したい。寒風の冬空に沢山の鐘が鳴り続けている様子を想像している。スエーデンでは今年もNew Year’s Eveに俳優がスエーデン語訳のこの詩を詠み、それが全国放送されるという。今年はもう終わったかな。本家のイギリスはどうしているのかな。以下、アルフレッド・テニスン作 詩集In Memoriam 「思い出に」より。

Ring Out Wild Bells

Ring out, wild bells, to the wild sky,
   The flying cloud, the frosty light:
   The year is dying in the night;
Ring out, wild bells, and let him die.

Ring out the old, ring in the new,
   Ring, happy bells, across the snow:
   The year is going, let him go;
Ring out the false, ring in the true.

Ring out the grief that saps the mind
 For those that here we see no more;
   Ring out the feud of rich and poor,
Ring in redress to all mankind.

Ring out a slowly dying cause,
   And ancient forms of party strife;
   Ring in the nobler modes of life,
With sweeter manners, purer laws.

Ring out the want, the care, the sin,
   The faithless coldness of the times;
   Ring out, ring out my mournful rhymes
But ring the fuller minstrel in.

Ring out false pride in place and blood,
The civic slander and the spite;
Ring in the love of truth and right,
Ring in the common love of good
.

Ring out old shapes of foul disease,
Ring out the narrowing lust of gold;
Ring out the thousand wars of old,
Ring in the thousand years of peace.

Ring in the valiant man and free,
The larger heart, the kindlier hand;
Ring out the darkness of the land,
Ring in the Christ that is to be.


「打ち出せ、荒ぶる鐘よ」

打ち出せ、荒ぶる鐘よ、荒らぶる空へ、
   疾駆する雲と凍てついた月へ
   この年は夜の闇で死にかけている
打ち出せ、荒ぶる鐘よ、そして死なせよ

打ち出せ、古きものを、打ち入れよ、新なるものを
   響き渡れ、幸せの鐘よ、雪の世界に
   この年はもう行く、行かせよ
打ち出せ、まやかしを、打ち入れよ、真実を

打ち出せ、あの心萎えさせる悲しみを
   この世ではもう会えぬ者たちへの
   打ち出せ、富者と貧者の確執を
打ち入れよ、あまねし人への新たな補償を

打ち出せ、死にかかった大義名文を
 時代遅れの政党間の争いを
   打ち入れよ、より高貴な生き様を
より優しき礼節とより純粋な法を

打ち出せ、煩悩や心労や罪悪を
 時代の不実な冷酷さを
 打ち出せ、この陰気な我が詩を
打ち入れよ、より十全な吟遊詩人を

打ち出せ、地位と血筋へのおごりを
 巷間の中傷と悪意とを
 打ち入れよ、真実と正義への愛を
打ち入れよ、善への普遍の愛を

打ち出せ、古き悪しき病いを
 深まる金塊への欲望を
 打ち出せ、幾千の朽ちた戦争を
打ち入れよ、幾千年の平和を

打ち入れよ、勇気ある自由なる者を
 より広い心とより優しい手の
 打ち出せ、この国の暗闇を
打ち入れよ、救世主となる者を

遠山風邪

小生、I’m coming down with a cold.で、食欲あって熱は無し。そこで、あの英語民間療法的な

  Feed the cold, starve the fever.「寒気は食べろ、熱なら飢えろ」(意訳)

の前半を実施中。なんだか辛いものが欲しく、食間に豆板醤を舐めるなど、非日常的な体たらく。
 カードもなかなか書けず、年を越しそう。

 そういえば、過日猫の額に出てみれば、年を越しそうな野菜や花が3種、頑張っておるではないか!

立葵さん。5,6月の開花期を青々と待つ。なんとびっくりタチアオイ、Holy hollyhocks!

11月終りから咲き始めた気の早い水仙たちは、その複数となると3態、narcissus、narcissuses、narcissi

そして明日葉。八丈草、明日草などの名もある。年の暮れに、繁茂しているのは立派だ。明日葉もっと増えそうだ。

明日葉の学名Angelica Keisukeiで、Keisukeiは植物学者伊藤圭介さんへの献名とは粋。

I hope they overwinter, all of them!

1月17日講演会 with apology

横浜地区のホールでの講演依頼を受け、1ヶ月前となった今月中旬にそろそろブログで紹介をと思っていたところ、先方から定員(200名)となったとの連絡がありました。恐縮ながら情報のみですが: 神奈川区民文化センター「かなっくホール」2時スタート。次回は早めに連絡いたします。

デンマークでは全身が©になる!?

ネット上にある個人の写真・画像・映像を守るための法案がデンマークで可決されたというニュースです。この時代、人間は容姿から声まで著作権を持たんといかんのでしょう。your last stronghold「最後の砦」、your last stand「最後の抵抗」かも。早く極東でもやらんかなぁ。

デンマークと言えば、戯曲『ハムレット』がエルシノア城で言う

  Something is rotten in the State of Denmark.
  「このデンマークでは何かが腐っている」

は王子ハムレットの名セリフのひとつで、場所に関係なく、「不正」がありそうだ・・・と感じたときに、このまま使えます。(デンマークチーズに掛けたユーモア添加物有りとも言われています) ただ、今回は不正でなく「正」がテーマでした。

ま、ドコデモ名言ではありますが、例えば、in the state of the refrigeratorにすれば、冷蔵庫で何かが悪くなっていることを、ドラマチックに表せるわけで、シェイクスピアをお台所にもどうぞ。

The Year-End Cleaner

というか、今朝の日米画像付き会話中、森が掃除道具を手に取ったので、母親が帽子をかぶせたところ、必殺すす払い人的風情となる。
  


She looks good in a hat.

英語の大掃除は「春掃除」some spring cleaningやa spring-cleanで、spring-cleanで動詞にもなる。
春めいて、窓やドアを開けて空気を入れ換えながら、というイメージ。
日本にしても、暮れのあとは「新春」。
たとえば、

  I’m giving my apartment some spring cleaning/a spring-clean on the weekend.
  I think it’s time to spring-clean my place.

生活全般(物質面精神両面)の整理整頓リフレッシュという意味で、

  I realize I should spring-clean my life.

120%感を出したいなら、DEEPを使い、a deep cleanやdeep-clean(動詞)で

  This carpet is in desperate need of a deep clean.
  I finally got to deep-clean my garage.

  HAPPY CLEANING!

ぼくのヤバイ病い

また病気が出てしまった。

「ばんざい」と言えば、快作カルト映画『バカルー・バンザイの8次元ギャラクシーThe Adventures of Buckaroo Banzai Across the 8th Dimensionの名セリフを思い出す。なぜなら、スーパーへ行こうが、スーシティへ行こうが、この病いはついてくるからだ。かなりよく知られたそのセリフは、唄うのを止めたピーター・ウェラーが、暗さのど真ん中にいるエレン・バーキンに言う、

  Wherever you go, there you are.
  「どこに行こうと自分がついてくるんだ」

である。
 大枚100円だったせいもあるだろうが、ときめきの逡巡の末、この袋に手が伸びたのだ。
 何故だろう、こうした考案者を”恥ずかしい” ”低レベル”と見做すことを捨てたのは?
 いつだろう、こうした言語遊戯を愛するようになったのは?