♬just walking in the idiom 歩きつつ覚えつつ

歩きを続けていると、「よ、旦那、本調子、憎いよ」と体が言っているような気分になることがある。

「歩きが本調子になる・いい調子になる」ということを
  I’m getting into my stride.
と言える。strideは「大股で歩くこと、しっかりした歩み・ペース」。

そしてこれは丸ごと
  get into one’s stride
というイディオムとして大変よく使われる。意味は仕事などが「本調子になる」ことで、たとえば

  I got into my stride in a couple of weeks.
  2、3週でペースがつかめた。
  It’ll take a game or two for her to get into her stride again.
  彼女が本調子に戻るにはあと1,2試合かかる。

歩きながら
  Wow, I’m getting into my beautiful stride.
などと自分流に変えて独りごつのも良い。一足二丁上がり。
  Onward.

Life is like an audition.

先日 外国映画のオーディションに行ってきました。これで何度目だろう。Thank you for the opportunity. あれこれ考えるけれど、ここはもう「スクールオブロック」の告げ口役でおなじみコメディアンのシルバーマンのことばを肝に・・・胸に・・・頭に・・・あとどこかないか・・・

“If you live in the past, that’s depression, and if you live in the future, that’s anxiety. So you have no choice but to live in the present.” Sara Silverman

アリタレーションの金太郎飴熟語

クッキーを作るときに使う抜き型をcookie cutterという。

これは頭韻熟語cookie-cutterにもなる。

同じような形の家がずらりと並んでいたりする郊外をcookie-cutter suburbs、住宅地区をcookie-cutter housing、cookie-cutter housesなどという。cookie-cutter stationsもあるだろうか、cookie-cutter answersなら決まり切った回答。
おっと、「決まり切った」はアリタレーションですね。
これは近所の野菜市場のアリタレーション。

リスニング力抜群の表示

「荒野の七人」とキジバト

クリスマスソングThe 12 Days of Christmasの2日目のギフトになっているtwo turtle dovesはキジバトと訳されている。鳴き声はturtur。これが語源という。亀とは無関係で、愛を込めて人を呼ぶ言葉a term of endearment に使われたという。a turturm of endearmentであろう。日本でいうキジバトは鳴き声が違う。デ、ポッポポー、のようなオノマトピイックな音が当てられている。日本のキジバトは英語でOriental/Asian turtle doveとなる。

 1羽、近くに棲んでいる。毎日鳴いている。このところ家缶詰で仕事の私にGo-go for a walk. Go-go for a walk.と聞こえなくもない。

 ただひと鳴きの終わりになぜ、「ぽ」というかGo.というか、どうしてあの1音を発するのか、私にはわからない。わかるわけがない。旦那、私らの癖でね、とでも言ってくれれば一応納得もするが。とにかくあの休むことをしらないツクツクボウシでも最後を単独の「ヤァ」などで終わらることはあまりないし、法師とは違い英語名Japanese bush warblerを持つウグイスだって最後を「イェイ」で締めることはない。

 今日もまた「ディディダダダー」が数回続き、最後にお粗末!と言わんばかりの「ポ」である。何かの歌や曲に似ていないか。似ていれば気も紛れるし、親近感も湧く。せめてマリアの付かないカラスなら、もうすこし進化を待てば、「歌に生き、愛に生き」の最後でも断末魔的ハスキーさで歌ってくれるはずなのになどと苦しみ抜いた末にやっと今日見つかったのは喜ばしい。
 エルマー・バーンスティンはハリウッドの作曲家で「アラバマ物語」「大脱走」そしてあのThe Maginificient Seven「荒野の七人」などで有名だが、その「七人」のテーマのエンディングが東洋キジバトの〆の一節なのだ! と思いたい。全楽器がなだれ込むような最後の最後ではなくその直前、ディダダダー、ディディダダダーダの最後のダがポである、と信じてもう少し付き合うことにした。I think I made a magnificient decision for myself.
 

アスパラガスとシュワ―

発音面で喰えないものにasparagusがある。

英語は省エネ語であり、内容語を強めて内容を伝える言語で、特に内容語のアクセントのあるところが前に出る。だから内容語を強めよ、と言っても、アスパラガスの母音のすべてを滑舌っていくのは疲れる。この疲労感は英語がいやになる大きな原因のひとつ。でシュワーの登場になる。タダー。

Schwaはwaを伸ばしピッチ(音高)高く

一番力の要らない母音。力を入れず口を開き背中をつつかれて出る音。アスパラガスの発音は

/əˈspærəɡəs/

どうでしょう、高ピッチの母音以外は全部この半脱力系シュワ―です。
ウsペウグsに近い、「ウ」行音の力を抜いて。

アスパラガスと言えばガラパゴスを思い出す方もいるでしょう。こちらはラが高ピッチであとは

/ɡəˈlæpəɡəs/

となる。日本語ではア行音が多いのに英語はシュワ―満載。あいまいどころではない明瞭なその存在。
アクセントのない母音全てが əになるわけではないが、シュワ―音になることはe?と言ってひっくり返るほど実に大変多い。知らぬうちにそう仰っている場合も結構あるでしょう。
英語らしいというのは省エネをして楽に言うこと。聴いている側の耳にも、ウsペウあたりで、ああ野菜とわかることが多い。話すこちらはあくまで最後までしっかり言って自己確認となりがちだけれど。辞書がもうない方、あっても発音記号がない方はオンラインで発音記号があるサイトへ。onlinedictionaryであれこれ出て来る。schwaで脱力する力を。

I’m pretty ə what I’m saying.

アリタレーションの犬熟語

口ばっかりでまるで実行しないことを表すイディオム表現に

He’s/She’s/They are all bark and no bite.
がある。「吠えるだけでまったく噛まない」。
何度も吠えるだろうからbarksと言ったらよいのにとも思うが、これはコンセプト概念としてのs無しであり、biteは一回も噛まないからbitesよりよい、という考え方もできるけれど、やはりbarkとbiteで頭韻を踏み、かつ互いにコンセプチュアルなs無しが、見た目、聞いた耳に快いということだろう。

s無しといえば、固定電話の留守電通達ボタンを押すと、
  You have no message.
という声がするタイプがあるが、何だか嫌いである。1個もないよあなた、とはご挨拶だなお前、何だクールに気取って、という反撥心が私の中に湧き起こるからだ。
  You have no messages.
のタイプもあり、こちらは、いろいろあると思ったんすがね今日はないっすよ、という感じがあるのでよい。

それにしてもなかなか上手い熟語である、このall bark and no biteは。

同じような表現に
  all talk and no action
もある。が、こちらは頭韻も脚韻もなくそのものずばりの決まり文句で、barkとbiteで引っ張っておいて、じわっと陰の意味をつかませていくというイディオムマジックが欠落している。

ちなみに、題名を忘れてしまったが、昔、犬を沢山飼っている悪王が主役の芝居に誘われ、野犬収容所(当時の名だったか)に録音しに行ったことがある。結構静かであったからそれなりに皆さんをけしかけたことである。その努力が報われて犬たちが光った作品になった。all bark and no biteの成功例である。

ちなみついでに、あるビジネスパースンから、彼の仕事相手のAT&Tとの交渉がなかなかうまくいかないという話を伺ったことがある。そのとき彼は、あそこはAll talk and talkですよ、と苦笑いをしていた。(義理の兄が働いていたことがあるから言うのではないが、コミュニケーションビジネスだから理想的な姿ではないかとも思われるが)

It’s all bread and no anko.と言いたくなるようなだらしないあんパンもたまにある。しかしこれには肝の頭韻がない。
頭韻矢のごとし、たとえば「駄洒落」と「要点」を並べて、
It’s all pun and no point.
と自戒したとしても、とりあえず作らないよりよいではないかと思う今日この頃である。