若気のun

大昔、be able to の意味を、be unable to でひっくり返せると知り、I’m sorry I’m unable to come tomorrow.と言っていた者が、Sorry I can’t be there/can’t make it/can’t come tomorrow.などと、シャチホコ張らずに話すようになったのは、英語環境で英語を教えたことが大きかったようだ。日本でこうした環境に身を置いたことは、そこへのフォーカスが強まり、よく尋ね、よく学び、よく記した。

仕事や演劇をしながら大学院へ通えたのも、そこが日本校だったからで、英語の講義だったから、枠組み外の人物が、いくつかの枠を知ることができたことは無駄ではなかった。そして、学びのハイライトは何かと訊かれれば、あれこれある中で、unが、

  unlearn

という言葉で、再び現れたことだと答えるだろう。
 これは学ばないことではなくて、「今まで身に付けた、癖、やり方などを離れる。そこに戻らず、新しい姿勢で何かを見、身につける」ことで、このunの付いたlearnは、勉強嫌いの人物にピッタシであったのか、新しい地平が広がる興奮を覚えた。

 unは小さな音だけれど、結構強い意識や意志を要求してくる接頭辞である。例えば、この画像だ。何かが隠れています、見えますか? 一度見えたら、見えないようにすることはできない、とある。ヒントが「身を引いて眼を細める」とある。眼は、クリント・イーストウッドぐらい細めないと行けないかも。30万人の仲間に入ってやってみますか?

 四文字の単語が見えた方は目出度い。けれど、何だかプロパガンダのようでもある。AIに作らせたそうだ。作らせるほうもあれなら、作るほうもなんである。
 私はAIEIOのほうだが、すぐ作っちゃうんだろうな、と思うとさらにEIOが強まる。それはともかく、
卵を割ったら、元に戻せない」、You can’t unbreak an egg.のように使えるunちゃん、ありがとう。

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