滑りやすい坂1

さだまさしの「坂のある町」というヒット曲がある。あの北海道の港町の、サンフランシスコ級の坂には遠く及ばないが、目黒区大岡山という坂の多い町で小学校一年から14歳まで育ったぼくは、日活映画『陽のあたる坂道』が世に出たとき、作品(子供なので見ていないけれど)に親近感を覚えると同時に、坂というものが昇格したように感じ、坂道の陽のあたる側を見ては、なにやら誇らしい気分に襲われたものだ。それまでいた北海道の町は、峡谷の平坦な部分にあったから、坂というものの思い出は皆無で、あるとすれば空知川の支流へ続く僅かな斜面を、凍った水面に向かってスキーで滑って転んで下りていったことくらいである。そういう子どもが、おおきな岡の頂きからタコが足を伸ばすように坂が延びている町に移った結果、見渡せないという閉塞感があったようだ。というのも、父の社宅はうぐいす坂という急な傾斜を下り切ったところにあったからで、坂の上がり口は「ふもと」と呼ぶようだが、そのふもとから歩いて、のちに自転車を買ってもらってからは漕いで上がっては、商店街へ買物の遣いに行き、床屋へ行き、(電話が入るまでは)蕎麦などの出前を頼みに行き、”お絵描き”の塾へ通い、ショウキュウ軒(漢字を覚えていない)にプロレスを見に行っては下って戻る日々が始まった。メーンな坂は数本あり、その中の学校に行く坂は土坂で、豪雨で出来た”川”を跨ぎ、滑りそうになりながら上り下りした。小学校へ続くこの坂は、雨期を知らない道産子には鬼門的存在で、truancyは「無断欠席」、長引くとschool refusal「不登校」となるが、truantな生徒にならなかったのは、夏に越してすぐの長雨の新学期に、お隣のマチ子ちゃん(これまた漢字を知らない)に手を引いてもらい新世界へ向かう泥道の傾斜を何とか上っていったというラッキーな出だしがあったからだと思う。

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