マルセル・フキノトウ

butterbub shootと聞いて世界で何人がフキノトウを思うかは別として、この個人的な好物でもある北国の春の象徴は、”スギノトウ”とよく似ているなあと「蛍の光」を歌う度に思ったものだ。そのスギノトウを「過ぎの遠」だと思っていたところ、「すぎの戸を」であることがわかったのは、今年も富山県の友人がフキノトウを送ってくれて、それを味噌汁にして頂いて、何度かそうするうちに、そういえばスギノトウって過ぎの遠でいいんだよね? 調べるか、図書館に行かずともできるから、と自問自答したのがきっかけで、星より何でも知っているウィキペディアに走ったからだった。それ以後、「蛍の光」が耳虫(earworm)となって止まらない。フーッ。七百数十年も生きてこのテイタラクじゃ。あそこは

   いつしかとしも、すぎのとを、
  あけてぞけさは、わかれゆく

であり、それが

  何時しか年も、すぎの戸を、
  開けてぞ今朝は、別れ行く。

だという。「過ぎ」と「杉」を重ねたのだな? だろうな、とまた自問自答して、インターネット海に漕ぎ出せば、舟はBingo!の國に漂着。
それにしても、酒を酌み交わそうよという元歌が、杉の戸を開けてぞとは。つましい戸のようだが。「遠」も入っているかもと一縷の望み抱きつつ。
開けてぞ、にしても、こちとらは夜が明けてぞ、で歌っていた。これまた戸を開けてぞと重ねつつなのか。
子どもの無垢な歌声に秀句が重なる面白さを楽しんでいたのは誰だったろう。少なくとも自分ではなかった。すぎのとを、とは発音していなかったから。もっとこうしたことを教えてもらいたかったなあ。興味がある人は、暇があったら、大人になったらTada!ということなのだろうか。言葉の綾は危ういに通ずなのだろうか。
この蛍光歌の元歌であるスコットランド歌は、ご存知のように酒を交わして古き友と昔に乾杯をという内容で、もうすっかり出来上がってしまったらしく、同じ事を繰り返すばかり。ところがこちらは、fireflyにsnow on the windowから始まって、この備後の秀句(巧みな洒落をこう呼ぶが、地口・駄洒落・口合いで良いであろうに)に至る。通常私は、あの、♫未練心につまずいて落とす涙の哀愁列車、の路線に惹かれるけれど・・・
6歳頃に初めて乗った青函連絡船洞爺丸の出港時に「蛍の光」のメロディーが恐ろしいほどの音量で流れていたのを初めてうっすらと思い出したのもすべて富山県の友人のおかげだ。プルーストにマドレーヌ、私にフキノトウ。ここで遠山顕のフキノトウ味噌汁。これは苦いほど自分には良い。特にお勧めはしませんが。It’s not for everyone.

Butterbur shoot miso soup. The bitterer the better.

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