
思わず”I’ll try.”「やってみます」とつぶやいてしまった、このエネルギー200パー全開のstore front greetingに。
“I’ll do my best…”、そして最後にever、とC. Eastwoodのように呟いてもよかった。
先のバナナの次にまた、best …everのビジネス使用だ。
だまし絵のように、一旦目で認識したものを、認識前の状態に戻すことは結構むずかしい。ぼくの例を挙げれば、「トレイ」が「トイレ」に見えるときがよくある。トイレが近くになかったり、トイレが近くなってないときにも起こる。
この「ある視覚的認識(ここではitとして)を認識していなかった状態に戻す」つまり「見ても考えないようにする」ことをunseeという。接頭辞un-には「元の状態にする・戻す」という意味がある。
そして日々日本の生活文化に身を置けば現れる、「トレイ」や多くのだまし絵より、もっと頻繁に遭遇する厄介物がこれだ。
昨年だったか一昨年だったか認識してしばらくは「しないのにするとはアッハッハ」と楽しんでおったのじゃが、「庶民には漢字が難しいからのー」と鼻が高くなり、昨今は「ああここにもあそこにも! あああの穏やかな日々を返せ-」「ビックリマークを付けて両義的ambivalentな意味をひとつにせよ!」と錯乱状態になって店に乱入したくなる(薬師殿これは病じゃろうのう)。この心境を英語で冷静に言うなら
Once you see it, you can’t unsee it.
だが、熱に浮かされて言えば
It’s soooooooooo haaaard to unsee it!
もしあなたが、看板の最後に黒いマーカーでエクスクラメーションポイントを書き足している人を見たら、それは私に違いない。そのときは I came. I saw. I unsaw!「来た! 見た! 見なかった!」でよろしく。
「アnマs」のように英語らしくない発音のラテン語からの表現で、報道でよく耳にします。
SNSに目に付いた投稿があり、そこで使われているので、紹介がてら転載します。
・(?)We went to a yakirori shop en masse.
これはバランスがよくないため、その場合は、We all / A lot of us went to a yakigori shop.などと言い換えられます。
en masseの使用は、やはり”硬い”内容に合います。
・It’s getting unsafe in the city and the residents are leaving en masse. 治安が悪くなり住民は一斉に町を離れている。
・Older workers are being pushed off into early retirement en masse, and younger ones labelled as unproductive. 年配の社員はまとめて早期退職へと追いやられ、若い社員は非生産的というレッテルを貼られる。
世界は地殻も含めて激動ですね。