西沢杏子さんの本

詩人の西沢さんの新刊です。言葉の深さ面白さに満ち、読みやすい本です。

英語という「言葉を学ぶ」者として僭越ながら感想めいたことを。文字、音、意味が合体してひとつのメッセージを伝えるのが言葉だとも言いますが、ひとつの言葉にひとつの音、そしてひとつの意味という、例えば英語を学ぶ世界での「マメ単」的な言語設定は土台無理な話で、「ちょっと大きい辞書」を開いてわかるように、言葉同士は、さまざまに、おそらく無限に、その意味や音や文字がオーバーラップし合っています。というより、人間が脳内でオーバーラップをさせてしまう癖というか傾向を持っていて、例えば「し」と聞いて、詩、視、死、子、師、脂、氏、詞、市、士、試、四、歯、私、支、刺・・・と、その場、そのキャラにより、さまざまな文字、音、意味が、色、形、映像、香り、感情などをともなってあれこれ沸き起こり重なり合い、放っておくと、私と史が重なり私史となり、市史、四肢、志士、獅子、宍戸錠、頬、微笑み、エミリー、ビル・エバンズを聞こう、と、思わぬ場所や行動に出ることも少なくありません。これが我々の脳の現状であり、AIには気になるところかもしれませんが、人間にとっては、これがあるからI。独りしりとりができる、おしゃべりが進む、駄洒落が出る、キャッチコピーで稼ぐ、ライミングで見得を切る、詩歌が湧き出る、と、自由闊達。知らぬ間に父の音量、母の話法、〇〇弁や俳優XXの言い回しまで総出演・総天然色で、その人にしかない言葉の世界があるわけで、どこにあるかといえば、その人の脳でしょうか。というわけで私たちの脳は大文字のYESなのです。

西沢さんの作品は、そうしたYESを広々と感じさせてくれます。紙面にしても、たとえば二行で一本の花や草。すこし離れて一本の木や虫、また離れて人間がいるような、自由の中の形があり、リズムがあり、ライムすることで楽しさや悲しさを感じさせてくれたり、シリーズ名を超えて、大人の持つジュニアやシニアの部分、その中間あたりにも語りかけてくる。Writing free verse is like playing tennis with the net down.(自由詩を書くことはネットを落としてテニスをするのに似ている)とは、自由詩も沢山書いていたロバート・フロストの言葉ですが、西沢さんの形と自由のある作品集は枠の内外の往来がAll right.だと感じます。

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