Sean Connery Memories

中学時代にDr. Noを見る。放射能を洗い流して食事に向かうあたりはハチャメチャであった。ケン・アダムの装置に驚嘆。小説(井上一夫訳)のボンドのイメージと違ったのは髪の量と笑顔。James Bond Themeはプラスチックのレコードプレイヤーで何回聞いたことか。これを”バック”に歩いた者は多かったに違いない。Englishmanの007がScottish accentを有することを当時は知る術も無し。

larger than lifeという人物造像を難なく作り上げることができる希有の俳優だった。そしsてHe had class.であった。こちらはI had classes.

90年代だったか、彼の物真似をする人が周囲に現れ始める。彼の英語に/ʃ/の音が多くなってきたからだ。それがSean Connery jokesにジャンル化した。特によく知られているのが:

  Q: When will Sean Connery arrive at Wimbledon?
  A: Tennish.

「10時頃」tennishとWimbledonのメインイベントを掛けたもので、答えを声に出して言えば、コネリーが/s/を/ʃ/と発音して、それがポップカルチャーに定着し、楽しまれていることがわかるでしょう。比較的楽にできるからかもしれませんが、ここまで声帯模写される俳優はほかにいないように思います。

ステレオタイプ化せずされず、よくやりました!

Resht In Peash, 007.

付記: 映画The Rockで、コネリーのダブル(アクション部分ほぼ)を演じたマイケル・ヴァンドレルさんは、英語島の友人でした。「座頭市」映画が好きで、仕込み杖のレプリカを生前に頂きそれが形見になりました。彼は『笠間の血祭り』が特に好きで、その影響でぼくも見直し好きになったほどです。日本が好きなマーシャルアーティストでした。コネリーの真似も上手でした。Rest in peace, Michael san.

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です