年を越したものたちへ

“獅子唐辛子”。この獅子頭もこれまでのものと同じく辛いのだろうか。それとも、もう辛くなるのは辛いのだろうか。早く深紅になって細い輪切りにさせて欲しい。

水茄子。10月の頭頃から結実を始め、今もかたくなにぶら下がる小茄子。新芽も出ている。2年草になるか。今月で終わるか。恵方に向けようか。

ホトトギス さらに咲かんと 三が日

一昨年の冬に植えて翌年に枯れ、その種から再生した金魚草SNAPDRAGONも越年。「龍の口」というイメージだという。花殻DEADHEADSを摘んでやれば、まだまだ行ける。萌よドラゴン。

レタス、0度の夜も元気。

皆さん好き勝手に進んでください。水を携えて随行します。

Ring Out the Hubris 荒ぶる鐘に託す

あっというまに大晦日。例年アップするこのAlfred, Lord Tennysonの詩は、急速に世界が変容する中で2024年という不確かさの塊を迎えざるを得ない私(たち)に、大変ふさわしい詩と言えるかもしれません。何とまた対訳付きです。ご参考まで。よき日の残りとBright New Year!を。

Ring Out, Wild Bells

Ring out, wild bells, to the wild sky,
   The flying cloud, the frosty light:
   The year is dying in the night;
Ring out, wild bells, and let him die.

打ち出せ 荒ぶる鐘よ 荒ぶる空へ
   疾駆する雲と 凍てついた月へ
   この年は夜の闇で死にかけている
打ち出せ 荒ぶる鐘よ そして死なせよ

Ring out the old, ring in the new,
   Ring, happy bells, across the snow:
   The year is going, let him go;
Ring out the false, ring in the true.

打ち出せ古きものを 打ち入れよ新しきものを
   響け幸せの鐘 雪上を渡れ
   この年はもう行く 行かせよ
打ち出せ欺瞞を 打ち入れよ真実を

Ring out the grief that saps the mind
   For those that here we see no more;
   Ring out the feud of rich and poor,
Ring in redress to all mankind.

打ち出せ心萎えさせる悲しみを
   もうここにはいない者たちへの
   打ち出せ富者と貧者の確執を
打ち入れよ あまねく人々の救済を

Ring out a slowly dying cause,
   And ancient forms of party strife;
   Ring in the nobler modes of life,
With sweeter manners, purer laws.

打ち出せ かすれ行く大義を
  時代遅れの政争を
   打ち入れよ より高貴な生を
より優しき礼と より純粋な法を

Ring out the want, the care, the sin,
   The faithless coldness of the times;
   Ring out, ring out my mournful rhymes.
But ring the fuller minstrel in.

打ち出せ 欲望 心労 罪を
   時代の不実な冷たさを
   打ち出せ我が情け無きライムを
が打ち入れよ より十全な吟遊詩人を

Ring out false pride in place and blood,
 The civic slander and the spite;
 Ring in the love of truth and right,
Ring in the common love of good.

打ち出せ地位や血筋へのおごりを
 巷間の中傷や悪意を
 打ち入れよ真実と正義への愛を
打ち入れよ善への普遍の愛を

Ring out old shapes of foul disease,
 Ring out the narrowing lust of gold;
 Ring out the thousand wars of old,
Ring in the thousand years of peace.

打ち出せ古き悪疾を
 金塊への深まる渇望を
 打ち出せ絶えることなき戦を
打ち入れよ 幾千年の平和を

Ring in the valiant man and free,
 The larger heart, the kindlier hand;
 Ring out the darkness of the land,
Ring in the Christ that is to be.

打ち入れよ勇気と自由に満ちた人物を
 より大きな心 より温かい手の
 打ち出せ地上の暗闇を
打ち入れよ救世主となる者を






うさぎ年最後の録音とリドル

今日は年内最後の録音日。出がけに一杯、謎かけ蕎麦で温まらん。

「富者より盗み貧者へ与えては跳び上がった盗賊は?」
Q: What’s the name of the thief who stole from the rich and gave to the poor and hopped?
A: Rabbit Hood.

やはり高菜萬でないと。行ってきます。(^_^)

帰りました。とてもよく出来ました!
 上のリドルはそれほどの出来ではありませんが、「富者より盗み貧者へ与えた」といえば誰あろ英国義賊ロビン・フッド。Robinにはrobbing(強奪)というニュアンスもあるのでしょうが、実に人気があった人物でした。人気が「あった」と過去形にした理由は定かではありませんが、いわゆる欧米文化というか、英豪加等の文化が崩壊しつつある中、こうしたレジェンドも価値を奪われ忘れ去られていくかなと思う唖然とした憤りを感じざるを得ず。体育系、理科系、政経系が栄え、文系がキャンパスから消えつつあるのは、こうした欧米の潮流と奇しくも一致するのかなとも思われ、『戦場に掛ける橋』のアレック・ギネスのWhat have I done?という今際の際の大台詞はラストワードとして避けたいぞなどなど、様々な想念渦巻く冬の夜。ウサギに敬意を表し、リドルをいまひとつ。ヒントは「野ウサギ」はHARE。

  Q: Where do rabbits go to keep their fur looking good?
  A: A haredresser.

こんなのユーモアじゃないという方、そう目くじらを立てず、広々しなさいな、おっと、このくじらって顔にあってよいのだろうか。と、昔なら信じられないほどの速さでわかったことは、「目くじり」(目尻のことらしい)を「下げず」に「上げる」と怒った表情になる、それが語尾変化で鯨が立ったとのこと。

Word!という新表現

新語・新語法NEOLOGISM(ニロジズm)はムクドリのように派手にやって来てはいつのまにか去るものが多いのですが、このWord!は、

  Well said!(うまい! 名言!)
  I agree!(だね!)

のような意味の新語法です。ここでのWORDは「単語」というより、

  Could I have a word with you?「ちょっとお話できますか?」
  I give you my word.「確約します」

などの「言葉」に近い気持ちでしょう。いつまで使われるかはHeaven knows.天のみぞ知る。

  Voltaire: The secret of being boring is to say everything.
  Me: Word!

と紙面で十代に。

ちなみに、My word!「何と!」という表現は辞書入りしています。

  

  

水仙

水仙に 枯れ赤まんま 笹少し

上り下り するたび薫る 水仙花

水仙DAFFODILは極楽ELYSIUMに咲き誇るとのこと。極楽寺ならちゃんと行けるが、そういえば春は水仙が咲く記憶がある。次回確かめてみよう。といっても古代の西洋の話のようだ。11月下旬から膨らんでいたのが12月に入って開き始めた、ありがとう。
  自己愛・自己中の強烈な人物はNARCISSISTで表されるが、これはご存知NARCISSUSという美形の狩人が池に映る自己像を我が物にせんとして叶わず、胸が青くなるまで叩いて悔しがったという。ハンターの”鏡”というべきか、心臓を大事にせぬ好例というべきか、彼は亡くなり、そのあとに咲いた水仙に似た花をNARCISSUSと呼んだという。

ついでに地獄HELLには桜草の道PRIMROSE PATH/WAYを歩くと行けるという。『マクベス』の門番が、大きなノックを聞くと地獄の門番気取りで、魂の抜けた者が桜草の道を歩いて永遠に燃える大かがり火目指してやって来たか、と独り言をいう。授業で習った記憶があるが、それ以来、桜草の小径を見るとHello there!と挨拶したくなる。シェイクスピアは罪作りでもある。

水仙は「す/いせん」と言うようだが最近は「す\いせん」がのしてきているようだ。(あくまで標準語なるものの話で恐縮)。太古、「水洗便所」が普及していたころ、役者・市川翠扇が活躍していて、茶の間では「す」を高く発音し、同時に花も同じ発音にしていた。その癖が今も続く。もう「水洗」は当たり前田のクラッカーになっており、その音声面での影響力は無くなったかに思うが、長く生きてしまっては仕方がないなぁ。