「夜戸出」

古語「よとで」とは、夜に外出することで、万葉集にこの歌がある。

  我妹子が 夜戸出の姿 見てしより 心空なり は踏めども

  わぎもこが よとでのすがた みてしより こころそらなり つちはふめども

 思う人の夜の外出姿を見て、舞い上がるこのハートよ、という作品のようだが、出る側、見る側それぞれに関して、いろいろな物語がふくらみそうで興味深い作品だなぁ。(night stalkerという危うさもありかな。)
 万葉の頃の夜はどうだったのか。外には街灯もコンビニも、手には懐中電灯もない。
 それにしても、「こころそらなり つちはふめども」は、そのイメージや響きのよさで、美事とぞ思ふ。
 「戸出」という言葉に夜が付いているので、「戸出」は更に古い表現かも知れない。

ちょうどいい長さの仲見世通りと夜戸出の人々

富山県高岡市に「戸出(といで)」という町がある。油田(あぶらでん)という駅もある。一帯が灯油(ひあぶら)の元になる植物油の生産地だったことから、「ひあぶらでん⇒とうゆでん⇒といで」と読みや漢字の変換が起こったという。加賀藩から江戸初期に分藩された富山藩は、物流の要となる戸出地区開発の通達「戸出野開御印」を受けた。新藩は「『戸』を『出』でて『野』を『開』く」という思いを込めて取り組んだという。改めた地名に魂が宿ったような興味深い話だ。

古代や近世のこうした例を見るに、夜戸出、戸出とは、なかなかいい言葉ではないかな。

さて、なぜ急にこんな話になったのかというと、ここしばらく使っている言葉night walkerの分が悪いからだ。素直に「夜の歩行者・散歩者」で通ってほしいのだが、そうなりにくい定義があり、late night walkerにしようか、前回の最後のご教訓にあるようにnight amblerで行こうか、かつ日本語でも何かいい言葉はないかなと思い、まずは古語を訪ねたところ「夜戸出」にぶつかった。夜戸出人「よとでびと」がいいかも知れないなぁ。

モノレール通過を待つ夜戸出人の影。心空なり地は踏めども。おお、応用。

ナイトウォーカーの聖域 Sanctuaries for Night Walkers

Seven-Eleven After Eleven

Omotenashiの一部を成すIt’s safe at night.という文句は絶対的なものではないけれど、ぼくは五体満足で何とかここまで歩いて来た。
 車はというと、ハワイ州の免許は取得したけれど、何度もドボンするパドルボーディングのほうがまだうまいと自他共に認める腕前だけに、Sunday driverどころかsomeday driverというのが自分の正当なステータスだ。
 一方、歩くのはそれなりに、昼夜を問わず、気が向けば夜の2時でも朝の4時でも、車のない道を行く。それにジェレマイア・ジョンソンやヘンリー・ソローのように大自然の中で暮らしているわけではないので、長くても2,30分歩けば、コンビニというサンクチュアリの灯が迎えてくれる。冬ともなれば、おでんや肉マン、ホットドリンクなどがあるので有り難さ倍増だ。

A Full Moon Over Lawson

今日の教訓 「老ナイトウォーカーは死なず、ただコンビニの中に消えゆくのみ」
Lesson of the Day: Old night amblers never die; they just fade into a convenience store.


 
 

A Little Green Pepper

小さいのがいくつもまだ頑張っているので1個もぎる。
今回は小さすぎて刺身にせず、そのまま食す。なんと甘い。
すぐにタネまで到達。さあ、困ったね。
しばしキーボード前で思案。
結論は、Dirty Harry Magnum Forceの締めゼリフを借用。(^_^)

“A man’s got to know his limitations.”

Good Grammer

Actor Kelsey Grammer’s favorite quote by W.H. Auden

Stagger onward rejoicing.

stagger: ぐらつく よろめく
onward: (止まらず、そのまま)前へ
rejoice: 歓喜する 大いに喜ぶ 

楽しいBRING ONESELF、苦しいBRING ONESELF

What should I bring?「何を持っていきましょう?」
これはパーティ等に誘われたときに日英でよく使われる常識的質問。そして
  Just bring yourself.「手ぶらでどうぞ」
が、これまたよく使われる返答です。

こうした楽しさ溢れるムードとは逆の表現に、「そこまで自分を持っていけない」、
  cannot bring oneself to do something「何々するところまで自分を持っていけない」
があり、「思い切ってできない」「その勇気が出ない」「する気になれない」「するに忍びない」

といった否定的な心情を表すことができます。

 気取ってエスカルゴを頼んだが、料理を目の前にすると、どうしてもひとつとしてエイヤ!と飲み込む気にはなれなかった、という次の例文をどうぞ。
  I ordered escargot in an attempt to appear sophisticated, but when the plate of snails was set down before me, I could not bring myself to choke down a single one.

オウ・クマン!

If you build it, he/they will come. 「それを建てれば彼(ら)が来る」
映画『フィールド・オブ・ドリームズ』から頻繁に引用される言葉で、itが何か、heやtheyが誰なのか、その謎が解けていく過程がうまく描かれています。主人公が若き青年の父とキャッチボールをするなど、一時野球少年だったぼくの心に(今様に)刺さるものがあちこちに用意されています。(初めて使ったけれど痛いね、この表現は。使い方をミスったかな。)

話は飛んで熊たちの出現が世を騒がせていますが、全国の森林を伐採すれば出て来るのは道理で、さっそく上のよく知られた構文を使い、予言風ですが、このように言えます。

  If you cut down forests, they will come.

(後半は原典の味を残さず、they are bound to come out.のように「間違い無く」感も出せますが)。いずれにしても熊は森林伐採deforestationに行き場を失い、

  I can’t even find the BARE minimum. They took it all away. I’m hungry as a BEAR. I can’t BEAR it. And it’s not us to BEAR the blame.

とこぼす余裕もないようだという話です。
冬眠もままならぬかな。手をくまねいては居られない。

A Bit of Autumn

早朝近所の公園を含めたエリアを歩き回り1万歩超えとなった。前回の表をもとに自己勝手評価するとsuper highly activeかな。元気のいいウィルスのようですが。
ケヤキなどの落葉多く、飽きが来るほど長い夏が残した小さな置土産のような秋が来ていた。

お疲れさまのわびやさびたち。A job well done, wabi-sabi guys.

知らない生き物に囲まれて歩く秋の森。ひんやり空気おいし。

Walking in a fall forest among living things unknown to me, loving the nice cool air.

Awesome autumn’s here. Hope it stays long.

How Many Steps a Day Do You Need to Walk?

歩くのは好きだし、運転しないので歩かざるを得ない。目標歩数は? と訊かれることがある。たまに1万歩超えの日があるけれど、通常3,000から7,000くらい、1,000の日もあるが、次のLOWからHIGHLY ACTIVEまでを表す歩数表がネットに引っ掛かっていた。(walkは目的語、基い、目標歩数にすぐ接続できます。)

Low: 5,000–7,499 steps.
Somewhat active: 7,500–9,999 steps.
Active: 10,000–12,499 steps.
Highly active: over 12,500 steps.

で、「あなたは不活発、低活動で、That’s not good enough.」と教えてくれる。いやだなあ、一生歩いてきたのにLOWなんて。それから9,999でSomewhatとは何事ぞ。気にしませんが。

こうしたtableというか表というものにはあまり興味のない目分量主義(a guesstimatorと自家製語)なので、すぐIf I walk 4,999 steps, what am I? Highly low?と自問したり、If I walked 9,999 steps and a half, would I be upgraded?と問いかけたくなる。Yeah, that could be done.と答えが返ってくれば、「表というものには裏がある」、無理にtableを使って自家製諺Every table has an under-the-table space.となるものか。(^_^)

「100歩あるこうが10,000歩あるこうがすべて気分の問題」なのだ。

Some people walk 100 steps and feel good. Some people walk 9,999 steps and feel not good enough.
The bottom line: It doesn’t matter how many steps you walk. All that matters is how good you feel.