♪いるーま いるーま いるまんま

唱歌「出た出た月が」を♪「だてたで がきつ」と唄い始めたものだなあ、よく。

今宵の月を見て、子どもの頃ーー最近はこの時代をよく思い出すのは第2の子供時代に突入したからだろうか。I’m pretty deep in my second childhood.と言い得るかーーの「いるーま・・・」が口をついて出できたから。

黄色く大きく丸いお月さん。
これが大きな赤いred moonになるらしい。

「倒語」なるこの遊び、英語では二重母音もあり、リンキングが面倒くさそうだ。

頭の体操、brain fitness exerciseということらしいが。日本語は母音付きだらけなので楽じゃ。

大きくなるにつれ、こうした遊びなどをしなかったような顔をして、ドンドン面白言葉習得時代のあれこれを我が身から削り落とし、すまし顔をするようになるのが人の常か。

そういう自分も残りの人生ダジャレを言おうと決意するまでは、随分スカシていたではないか。

まぶしいほどだね、お月さん。

braveの動詞

一昨日の台風当日、着る物を探しに湾岸のアウトレットエリアへ行った。
不謹慎ながら、子ども時代、嵐になると家の近所に流れていた呑川(現在暗渠)を見に200mほどを歩いたものだった。河原で一杯やってきなさいと誘われそうな名だが、ぼくはぼんやりノミだと思っていた。それも長い間ぼんやりと。

braveという動詞は、そのあとに来る、the rapids(急流), the storm(嵐)をはじめ、危機難関に恐れず立ち向かうという意味がある。

  We braved the storm yesterday to go find something to wear.

というか、何だか悲愴間に溢れすぎだが、使い方はOKでしょう。

昨日は一転して天晴れ好天、夕刻の観音も穏やかでした。


落涙の朝

野球は広岡達朗、相撲は若ノ海と若乃花、映画は小津安二郎、黒澤明に『とんかつ一代』、『ブレードランナー』などなど、一応好きなものは人並みにある。よくわからないオペラも、SNSのせいか、マリア・カラスがここしばらく”フアン”で、特にジャコモ・プッチーニ作『トスカ』「歌に生き恋に生きて」の最後に、感情の昂ぶりの中で息を継ぐ「音」が、歌唱の域を外れてというより外してというべきか何ともリアルで、聴くたびに我が眼から水玉が出る。太古、ジュラシックの頃、姉のマントバーニオーケストラのLPが小さな家中に流れていたが、あれはみなオペラの名場面だったのだなぁ。トスカもあった。今朝は思わぬ眼の洗浄が出来た。外は雨台風が戦場中。 
  Sono un fan di Maria Callas. でいいのかな・・・
読者のKyokoさんが送ってくれたマリア・カラス展での写真です。Many thanks!

駐車に関する英語

免許を取得したのが遅く、ノンビリしたハワイ島でのことでもあり、周囲の恐れがよく理解できるぼくは、運転することはまずないが、運転用語はすこしは覚えてきた。たとえば、BACK UPは車をバックすることだけれど、駐車する際にドライバーが
  I’m backing up.
と言えば、REVERSE PARK(逆向きに駐車する)という(和風「バック駐車する」)こと。
 そして、車がそういう状態にあることはBACKED UPを使い、

  They’re all backed up!

FORWARD PARKINGは逆に、parking your car with a nose first(鼻から先に)のこと。


  

  

隣や後部座席から、”Back up the car.”と声がしたら、車をバックさせること。
駐車の際にそう言われたら、reverse park「バック駐車(する)」ということ。
そうした状態に駐車していることを

They’re backed up.

小茄子にランタナ

台所へ向けて出荷!

ランタナ(lantana camara)は、「世界の侵入生物種ワースト100」のリストに入っている。
It’s listed in the “List of the world’s 100 worst invasive species.”
invasive speciesは「侵入生物種」や「侵略的外来種」といわれる。
南方ではガンガン増える。日本でもドンドンだ。

「ジレンマなんですよ」を長短の英文で表してみると

この時代、AIかヒトか、白か黒か、右か左かと決断を迫られ、どちらにも過不足あり決められずジレンマに陥ること多々有り。この怪傑児雷也ならぬ未解決ジレンマを英語ではdilemmaといい、「デマ」に近い発音で、そうした状況を単刀直入に

  I’m in dilemma.

と表現できます。「板挟み状態で」「二律背反、身動きがとれなくて」ということで、このあと、興味を示した相手に状況説明ができます。あるいは状況説明後に、これでまとめることができます。
 一方、状況説明のあとに、「まったくにっちもさっちもいきません」「もうあっちを立てればこっちが立たずという」といったざっくばらんな気持ちで使うのが、

  (I’m/I’ll be) Damned if I do and (I’ll be/I’m) damned if I don’t.

意味は「やればばちが当たるし、やらないとばちが当たるし」という、no-winどっちをやっても勝ち目がない状態を表す言い回しで、現状をバッチし嘆いています。

damnには原義に宗教的な「天罰を下す、地国に落とす」があり、1939年の米国映画までハリウッドの禁句でしたが、『風と共に去りぬ』のバトラー氏のFrankly, my dear, I don’t give a damn.(名詞のdamn)でダム崩壊となりました。余談はともかく、上の太字の文の()括弧を外して、I’ll be/I’m damned if I do and I’ll/I’m damned if I don’t.と”I”を連発すれば、燃えさかる火に放り込まれそうな響きもあり、通常I’ll be …(自分はきっと・・・だ)やI’m …(自分は・・・だ)を省略して、
  Damned if I do, damned if I don’t.
と、真ん中のandも略して、せめてリズムだけは明るく表わすことも多し。

 ”I”の代わりに「みんなのyou」を用い、相手とその後ろの何十億人を巻き込んだ形で、

  Damned if you do, damned if you don’t.

と言うこともできます。着物姿のあなたが、ある膠着状態をこう表現すれば、周囲はぎょっとしたり、おお気っぷのいい人物と感じたり、様々でしょう。