「鍵を握る」の英語

メディアによく飛び出すのが、結果・勝敗などを左右する、大きな影響力を持つ、重要な役割や権限を持つ、といった意味で使われる「鍵を握る」という慣用句。これはそのまま次のような英語イディオムになる。

  hold the key
  carry the key

Wiki売りながら紀元前6世紀に、差し込んで回す鍵が発明されたとある。日本は飛鳥時代より存在とのこと。日本語慣用句の初出は小生不明なれど、英語イディオムは16世紀とある。現実の動作・状態から自然に生まれたに違いない。hold the key to …の形がよく使われる。

  Their new technology holds the key to extensive recycling of waste plastic.
  あそこの新技術が大規模な廃プラスチック再利用の鍵になる。

ガーシュウィン兄弟作のスタンダード曲Someone to Watch Over Me「サムワン・トゥ・ウォッチ・オーバー・ミー」の一節にあるのは、 

Although he may not be the man some
Girls think of as handsome,
To my heart he carries the key.
彼をハンサムと呼ばない
女の子もいるかも知れない
でも私のハートの鍵は彼が持つ

こちらは「鍵を携えている・持ちあるいている」という響きもある。(man somehandsomeのライムも絶妙である)

上の画像はキリスト教会の入口に見られる聖人像が持つ鍵で、複数であるのは聖書に、”I will give you the keys to the kingdom of heaven…”とあり、聖ペテロらが教会に、天国へ入るための鍵(権限)を与えたことに依るという。
一本頂ければとも思うが、向こうは石が固い。(一応:St. PeterのPeterの語源はstone, rockの意味故)




man someとhandsomeの押韻素晴らしい

Breaking!

6月に参加した演劇で再会した上野火山さんからFBに緊急投稿があり、確かに重いニュースなのでコメントしました。文化、常識への強烈な圧力を感じ、ある種ノンポリのぼくも心配事のひとつなので、火山の投稿と遠山のコメントを掲載します。

The Mystery Is Over!

For a lazy blogger like me, this vessel could’ve stayed a mystery forever. But thanks to two kind readers who did a little detective work online, the hazy puzzle is clear at last: it’s turned out to be an incense burner for laying sticks sideways! Shout-out to Kumako-san and Yumiko-san!!

ある香炉の花の宴! 

滑りやすい坂1

さだまさしの「坂のある町」というヒット曲がある。あの北海道の港町の、サンフランシスコ級の坂には遠く及ばないが、目黒区大岡山という坂の多い町で小学校一年から14歳まで育ったぼくは、日活映画『陽のあたる坂道』が世に出たとき、作品(子供なので見ていないけれど)に親近感を覚えると同時に、坂というものが昇格したように感じ、坂道の陽のあたる側を見ては、なにやら誇らしい気分に襲われたものだ。それまでいた北海道の町は、峡谷の平坦な部分にあったから、坂というものの思い出は皆無で、あるとすれば空知川の支流へ続く僅かな斜面を、凍った水面に向かってスキーで滑って転んで下りていったことくらいである。そういう子どもが、おおきな岡の頂きからタコが足を伸ばすように坂が延びている町に移った結果、見渡せないという閉塞感があったようだ。というのも、父の社宅はうぐいす坂という急な傾斜を下り切ったところにあったからで、坂の上がり口は「ふもと」と呼ぶようだが、そのふもとから歩いて、のちに自転車を買ってもらってからは漕いで上がっては、商店街へ買物の遣いに行き、床屋へ行き、(電話が入るまでは)蕎麦などの出前を頼みに行き、”お絵描き”の塾へ通い、ショウキュウ軒(漢字を覚えていない)にプロレスを見に行っては下って戻る日々が始まった。メーンな坂は数本あり、その中の学校に行く坂は土坂で、豪雨で出来た”川”を跨ぎ、滑りそうになりながら上り下りした。小学校へ続くこの坂は、雨期を知らない道産子には鬼門的存在で、truancyは「無断欠席」、長引くとschool refusal「不登校」となるが、truantな生徒にならなかったのは、夏に越してすぐの長雨の新学期に、お隣のマチ子ちゃん(これまた漢字を知らない)に手を引いてもらい新世界へ向かう泥道の傾斜を何とか上っていったというラッキーな出だしがあったからだと思う。

Day-long Blooms Live for Days! 

I got this “thing” at a tiny thrift store months ago because of its mysterious existence, and I still don’t know what it’s used for.


Recently I got some nichi-nichi-so, and at long last I think I’ve found a purpose of the thing–in my own sort of way, though.

Nichi-nichi-so or a little Russian-sounding nichi-nichi-ka is one of few summer flowers.
Its English name is periwinkle and the flowers come in a variety of colors, blooming till autumn, but alack, they open and go in a day, making the fallen sets of five petals a sorry sight.
So I took off the lid of the mystery vessel, filled it with water and put some of the fallen flowers in it.

It’s been three days now and they look happy.
I don’t know what I learned from all this, but it made me very happy!
Still it would make me even happier if you could let me know what the vessel is for.

「領収書は全部とってあります!」

小社のためにレシートは出来るだけとるようにしていますが、最近英語でよく聞かれるのが、レシートが「裏は全部取っています」「証拠は全て揃っています」という意味で使われること。

  I have all the proof.
  They’ve got all the evidence.

は、ずばりそのものを表す表現だが、これらの生々しい印象、ドラマチックな響きを「領収書」でまぶす感じ。

slangに分類されているようだが、特に金銭授受流用等に関する問題についてはぴったりのイメージがあり、個人的には口語として使われていると見ている。

♪いるーま いるーま いるまんま

唱歌「出た出た月が」を♪「だてたで がきつ」と唄い始めたものだなあ、よく。

今宵の月を見て、子どもの頃ーー最近はこの時代をよく思い出すのは第2の子供時代に突入したからだろうか。I’m pretty deep in my second childhood.と言い得るかーーの「いるーま・・・」が口をついて出できたから。

黄色く大きく丸いお月さん。
これが大きな赤いred moonになるらしい。

「倒語」なるこの遊び、英語では二重母音もあり、リンキングが面倒くさそうだ。

頭の体操、brain fitness exerciseということらしいが。日本語は母音付きだらけなので楽じゃ。

大きくなるにつれ、こうした遊びなどをしなかったような顔をして、ドンドン面白言葉習得時代のあれこれを我が身から削り落とし、すまし顔をするようになるのが人の常か。

そういう自分も残りの人生ダジャレを言おうと決意するまでは、随分スカシていたではないか。

まぶしいほどだね、お月さん。

braveの動詞

一昨日の台風当日、着る物を探しに湾岸のアウトレットエリアへ行った。
不謹慎ながら、子ども時代、嵐になると家の近所に流れていた呑川(現在暗渠)を見に200mほどを歩いたものだった。河原で一杯やってきなさいと誘われそうな名だが、ぼくはぼんやりノミだと思っていた。それも長い間ぼんやりと。

braveという動詞は、そのあとに来る、the rapids(急流), the storm(嵐)をはじめ、危機難関に恐れず立ち向かうという意味がある。

  We braved the storm yesterday to go find something to wear.

というか、何だか悲愴間に溢れすぎだが、使い方はOKでしょう。

昨日は一転して天晴れ好天、夕刻の観音も穏やかでした。


落涙の朝

野球は広岡達朗、相撲は若ノ海と若乃花、映画は小津安二郎、黒澤明に『とんかつ一代』、『ブレードランナー』などなど、一応好きなものは人並みにある。よくわからないオペラも、SNSのせいか、マリア・カラスがここしばらく”フアン”で、特にジャコモ・プッチーニ作『トスカ』「歌に生き恋に生きて」の最後に、感情の昂ぶりの中で息を継ぐ「音」が、歌唱の域を外れてというより外してというべきか何ともリアルで、聴くたびに我が眼から水玉が出る。太古、ジュラシックの頃、姉のマントバーニオーケストラのLPが小さな家中に流れていたが、あれはみなオペラの名場面だったのだなぁ。トスカもあった。今朝は思わぬ眼の洗浄が出来た。外は雨台風が戦場中。 
  Sono un fan di Maria Callas. でいいのかな・・・
読者のKyokoさんが送ってくれたマリア・カラス展での写真です。Many thanks!