今日のクロスワード 3つの運命

カギが全く同じことがクロスワードにはよくあり、答えは同じではないこともよく知られています。

case in point、今回のカギはその例です。同じカギで違うドアが開く、といった期待感と、ダブルにわからん、という絶望感が一緒に襲ってきます。

  Cosmic destiny 「宇宙的(星々が画した)運命」とでも。

After all, it’s written in the stars. 詰まるところ、それは星々の中(宇宙)に書かれている(決められている)というジョン・レノンの歌を想起しましょう。

fate: What happens to someone, especially when it is something bad  「運命」ですが特に悪いことが起こるもの。時にそうでない意味で使われることもある。Terminator 2で、サラ・コナーがピクニックテーブル上にナイフで刻みつけるNO FATEは前者の例。

  His fate is now in the hands of the jury.

karma: In some religions, the actions of a person in this life or earlier lives, which influence their future いわゆる「カルマ・因果」。ポジとネガ両種あり。ヒンドゥー教、仏教から英語へ。Boy Georgeのヒット曲”Karma Chameleon”や再びジョン・レノンの”Instant Karma”で英文解釈することもできるかもしれません。歩けばKarmaという歌に当たりこれも一種の面白さが。

destiny : The things that will happen to someone in the future. 「運命」。総括的な言葉。 

  At last she feels in control of her own destiny. (以上、定義と例文はOnline Cambridge Dictionaryより)

Paul Ankaのヒット”You Are My Destiny”やDestiny Childと並ぶ”What will he find out there, doctor?” ” His destiny.”のやり取りが秀逸。オリジナル『猿の惑星』のラストを参照。

like cat and dog 非常に仲が悪い

日本では犬と猿(「桃太郎」ではthe greater goodのためか、きび団子のおかげか見事に協調)が不仲を表す慣用句になっています。その由来に関しては、個人的には、人間の作物を守る犬と取りに来る猿との対峙という構図が浮かびます。順番として、「犬猿」が「猿犬」より好まれているのは、言いやすさでしょうか。最初に楽に母音始まりのENでスタートして子音/k/含みで”努力”が要るKENにつなぐより、最初に面倒なKENを言って、イージーなENに流れ込むと憶測します。あるいは、”味方”を先に、”敵”はあとにという気持ちかもしれません。(ちなみに「敵味方」は逆になりますが、これは「短い語」を先に「長い語」を後にという言いやすさによるものかもしれません)。干支のエピソードに由来を求める説もあるようですが、順番から言えば猿→犬となりますから、やはり他の何らかの要因があったのではないでしょうか。英語のcat and dogの順番も「犬猿」と同様にフィックスされています。これは、長さは同じですから、言いやすさでしょうか。最初に口の形の大きいk/æ/tで始め、それより小さく楽なd/ɒ/gで締める、と感じます。
英語には、back and forth、law and order、trick or treatといったバイノミアル(binomial)と呼ばれる表現が多々あり、その大海に漕ぎ出したい方は、 https://en.wikipedia.org/wiki/Irreversible_binomial
へ行かれてはどうでしょう。また、2020年1月号、2020年9月号の『英会話楽習』でも取り上げています。

長い前置きになりましたが、次のビデオクリップは猫犬の大騒動です。というより人間が一番騒いでいますが・・・。Epic Cat Chases Dog!!というタイトル有り。It’s going or gone viral.(大拡散中かしたか、というものです)Lots of hysterical laughter!という警告も有り、音声ご注意。

ひとこと加えれば、It’s catastrophic!でしょう。

清白の軌跡

I suppose it’s not unusual for this sort of thing to happen to you in your kitchen. Anyhow, first there was green. A bit of regeneration in a mug-ical way.

Then there was a culinary cut for miso soup, And thenー

Genesis. Two. Or turning another new leaf.

Out of the mud, or the mug rather.

Looking cool, buddy.

Basking under the supermoon.

Moon-struck?

You made me start a morning ritualーtaking your pics and coming up with a punny title each time. It was a tree-t.

Hope you had fun, too.

Now Suzushiro lies between Rosemary and Daisy.

清白菜 見詰め過ごせば 早や五月

Watching Daikon leaves grow
From day to day to realize today
It’s May already!

今日のクロスワード こりゃ唐茶

クロスワードのカギ(crossword clue、おっと頭韻)は作る側が勉強することもある。例えば今回の「茶」。通常のカギは、

Drink、Kind of party、Starbucks order、Afternoon social、Kind of bag、Some like it hot、Earl Grey, for one、Caffeine source等々多々有って、いずれも”西”寄りだ。だから今回のような”東”寄りの情報は、クロスワード作成者(crossword constructor、おっとまた)の頑張りを感じさせる。

the Tang dynastyは「唐朝」。そうだったか。小生などTang Teaと無理矢理頭韻で覚えれば一生忘れないかもしれない。そこからの変遷は、唐茶(カラチャ)というスタイルも含め、興味深い。なおタイトルの唐茶はそうは読まないことになっている。それはともかく、これも東寄りの

 not for all the tea in China 中国中の茶と交換すると言われてもいやである

というイディオムもうなずける。が、文化大革命でブルジョワの楽しみとして茶は排斥され、台湾が主産地となったこともあったという。


  

日々是頭韻 s-s 「唯一の生存者」

Sole survivorがそれで、soleには「唯一(無二)の、たった1人・1つの」といったドラマのある響きがあり、しばしばthe sole 何々と限定の冠詞を伴う。

The sole purpose of my life is to find the purpose of my life. (私の人生の唯一の目的は私の人生の目的を見つけること)というややこしい話もできる。
My sole purpose for playing tennis is to win.という元気な人もいる。
ヒット映画にLone Survivorがあるが、これは同じ唯一感はあるもloneの孤独感をあわせ持つ。

同じスペルでも「足裏」「靴底」「ゴルフクラブ底面」を表すsoleもある。

同綴異義語にもうひとつ「シタビラメ(ガレイ)」(flatfish)もsoleで表す。

日々是頭韻 L-L 洗濯物リスト

洗濯物リストlaundry listは、laundry業の発達と共に必要となって誕生した洗濯物リストで、ホテルで預ける際にチェックが入るものも含め、そこから広く「とても長いリスト」「やることのとても多いこと」というイメージがあります。訳は「長尺のリスト」とでも。

新政策を次々と打ち出す現政権が「これはただの長尺のリストではない、これが国家の本来の姿を明確にする(define)ものだ」と施政演説で述べたという記事。

日常会話で、I have a laundry list of things to do.ということもできます。

別の言い方に
I have to do this, that, and the list goes on.(あれもしなきゃ、これもしなきゃ、とリストは続くんです)
あるいは
I have a list of things to do as long as my arm.(自分の腕くらいの長さのリストです)
あるいは
I have a to-do list as long as my arm.(やることリストの長いこと)

19~20世紀の洗濯業の発展から生まれたリストは、20世紀半ばに比喩表現として一人歩きを始め、今日に至っています。施政方針演説にまで登場して、鼻の高いことでしょう。