Algernon

昨日は2千歩の彼方フラワーセンターへ。コロナ禍の土曜、ゆったりとして週末感がない。コーヒーはというと、入って40歩ほどでカフェがアルジャーノン。

店主に尋ねると、やはり小説『アルジャーノンに花束を』が名の祖。どうやら、あのIQが倍になるネズミの名ではあるが、『「花」束』のほうにちなんだようだ。中にはいって注文し外のテーブルで食す。快晴無風。どうも気になって再び中に入り、一角に座す2頭の動物の歓迎を受ける。ぬいぐるみのような静けさが有り難く、静謐が私を挟んで放さない。

               とらわれのみ

Flowers for AlgernonCharlyという名の映画にもなり、遠山はストラウス博士役で、チャーリイの塩谷俊さんやキニアン先生の金貴中さんたちと奈良橋陽子さん演出の舞台に立ったことがある。知的障害を持つ主人公が、手術でIQ が上昇していき、最後にそれがまた元に戻るというストーリー。小説は主人公が書いた文章で成り立ち、進行と共に文法・語彙・表現が変化していく。作家ダニエル・キイスのめざましいアイデアが光った。

鬼籍は閻魔大王の帳簿だという。大王は死の王と同時に地獄の王だとのこと。英語圏では最初に聖ペテロと帳簿が待つ天国の真珠の門に行くという話がある。そこで、くぐって進むのと別の方へ行く人に分かれるようだ。塩谷さんは鬼籍に入られたが、名簿の不備を指摘したり大王の座り方を直したりしたあと、じゃお疲れ様!と言って、我が道を昇って行ったに違いない。色々教えて頂きました。深謝。

超倹約家の老夫婦のお話

舞台は20世紀初期、parlor(来客のための応接間)があった頃です。

They were a very saving old couple, and as a result they had a beautifully furnished house.

One day the old woman missed her husband and called out.

“Joseph, where are you?”

“I’m resting in the parlor,” came the reply.

“What, on the sofa?” cried the old woman, horrified.

“No. On the floor,” came the answer.

“NOT on that Persian carpet!” she said in tones of anguish.

“No,” said the old man. “I’ve rolled it up!”

客間を綺麗に保つ、というポリシーは理解。しかし「過ぎたるは」です。

The moral: Too much is as bad as too little.

この文の解釈にはある日常語が決め手になります

取りあえず、読んでみましょう。そのあとに語注もあります。

can’t even imagine …は「・・・についてはまるで想像がつかない・信じられない・想像を絶する」
self controlはself-controlとハイフン付きが良いですが、これ「自制心」ですね。

そしてbubble wrap
これは商標でBubble Wrap(直訳:泡包み)と大文字処理がベター。商標ながらBand-Aidのように日常語になっています。日本語なら、これも商標で少し違いがあるという「プチプチ」のこと。

楽訳: まるで自分には想像できないもの、それはプチプチ工場で働くのに必要な自制心。

pop bubble wrap(プチプチをつぶす)をしたくなったりしたりする理由については次回。

頭韻フレーズ the sum and substance of ~

両方とも「概要」「要旨」「概略」の意味で、「~の」と言いたければ、sumあるいはsubstanceのいずれかで十分です。シェイクスピアも使ったとこのフレーズが、その後400年以上も生き延びている訳。それは、

   suとsuの頭韻

です。語呂が快い。で、Here’s the sum of what happened in Nara last night.と言いたい。ならいっそ、

   Here’s the sum and substance of what happened in Nara last night.

どうでしょう。ご存知のTime and tide wait for no one.は、同じ頭韻でもtimeとtideは別の意味を持って並んでいます。sum and substanceは唯々くどい(redundant)だけですが、知ってしまうと段々と使いたくなるというフレーズです。まとめて一息で言うと決まります。

2・20講演会の演題1「英会話なくて七癖」から「英会話七転び体験」への変更について

昨日、2・20講演会の具材というか話材のひとつ「英会話無くて七癖」について調整していることを書きました。「七癖」を「七転び」にして、話を自分の方向へ引いてくるのが良いと感じたからです(回数は「七」というより「なな!」くらいあるわけですが)。

   英会話 口を開けば 間違える 口を閉ざせば 退化するなり

これは我が歌で、口をitにすれば、お馴染みUse it or lose it.です。が、退化したとしても、反省して再スタートを切れば、これが本当の退化の改心で、やがて退化ないところまで持っていけるわけです。これは母語にも言えることで、喋らないでいる状態が続くと、クロネコさんが来たとき自分の声の調整が難儀なことがあります。

余談ながら、ことわざ「七転び八起き」を頭の中で転がしているうちに気付いたこと。あのことわざは

   七転び七起き

で必要十分ではないか。七回転んで七回起きて更にもう一度”起きる”のはミッションインポッシブルのトム・クルーズならやっても格好いいかもしれないけれども。英語圏に採用された

   Fall seven times, get up eight.

も、実は、Fall seven times, get up seven.ではないか。
 あ、そうか。初期設定が「起き」、それがデフォルトで、そこでフォールとなる。読めた。

「英会話七転び体験」。語呂がよい。初期設定時から転がっていたような気もするが。

ジェンダーがわからないとき、ジェンダーを強調しないときの単数they/them/theirsの出現から現在まで

A student of mine said you’re the best history teacher ever.(私のある生徒があなたのことを最高の歴史の先生だと言っていました)

と同僚に言われた歴史の先生が、

   Oh, it’s nice of them.

と反応しました。良いコメントをしたのは一人なのですが、それが男女いずれかか分からないのでthemに。こうすればheかsheか尋ねてIt’s nice of him/her.と言う必要がないからです。その生徒が女性/男性だと思った歴史の先生がIt’s nice of her/him.と返すこともあり、そのときは同僚がHim/her.と直すこともありますが、ある一人をthemで絡め取れば面倒がありません。

こうしたthey/them/theirsの使い方(singular they・単数のthey)は14世紀に登場。それまで「彼」の複数はha、「彼女」の複数はheo、「それ」の複数はhitでしたが、これらがすべてtheyに取って代わられ、この例を含め、ヨーロッパ語に見られる男性形や女性形が消えて、それが英語の大きな特徴となります。そしてまもなくHe or she?とジェンダーを問題とする必要のないときにTHEYが使われ始めて今日に至っています。

つい最近まで、文法的にいかがなものかと眉をひそめていた規範文法派も、大方その機能を認めています。その理由のひとつにLGBTQの新しい流れを見逃すことはできません。次の一節を最後まで読んで、”あたらしい”singular theyをチェックしてみてください。(下線はオリジナルにあるものです)

their lifeをhis or her lifeあるいはher or his lifeと「正確さ」を期すと、1)流れが途絶える、2)インパクトが薄れる、3)論文ではない、4)LGBTQコンシャスでない、といった理由で単数のthey、singular theyが大変よく使われます。

2・20講演会の「七癖」について

寄せ鍋の夜のテーマのひとつ「英会話無くて七癖」のことですが、これは上から目線でああSAYこうSAYと言うのでも、見聞きしたことをどうこう言うのでもなく、どうやら私の苦い実体験が中心になりそうで、ああSAYよりは更生。SHOULD HAVE、COULD HAVE、WOULD HAVEというあたりからの話をしたく思います。
                 過去への旅の途中で。K.T.