パブロ・ピカソがコンピュータにひと言

●次々と作風を変化させた画家ピカソは

Computers are useless. They can only give you answers.

発想から完成まで自分で答えを出していくことが信条也。

⚫作家アイザック・アシモフは

I do not fear computers. I fear the lack of them.

安全な未来のためにロボット三原則を想定したSF作家らしい。

⚫米大統領ジョン・F・ケネディーは

Man is still the most extraordinary computer of all.

extraordinaryな人物、extraordinaryな出来事。彼の就任演説を暗記した日々蘇る。

⚫フリークライマーのアラン・ロベールは

Modern people are only willing to believe in their computers, while I believe in myself.

素手で高層建築を登り切るのに頼るのはやはり。

⚫遠山は、

When my computer gets slow, I whisper “Think, Pad, think.”

Hello, jimmy!

ものをこじ開ける「かなてこ・鉄梃」は鉄の棒の先端がカラスの嘴に似ていることからcrowbarの名がある。

その小型のものは

jimmyと呼ばれる。道具を人名の愛称で呼ぶ例で、前回は女性名、今回はJamesの愛称。

もと盗人用語! 皆さん、小型のものを隠し持っていたのでしょうか。それを人名にしておけば苦労ばせぬと納得。

重いものをジワジワと持ち上げる道具を日本ではジャッキというが、英語ではjackで、やはり男性名だが、愛称ではない、とは言い切れぬところ有り。それは:

いにしえからJackはJohnの愛称とされているから。JFKはジャック・ケネディとよく呼ばれたが、あのジャックが本名のジョンのニックネーム。(ジャックがジョンと呼ばれることも)。ミセスKはジャックリーンで、これは短くジャッキーとなり、二人揃えばジャック&ジャッキー。マザーグースでお馴染みの頭韻Jのカップル・ジャック&ジルが霞む頃があった。

道具名が先で、それを使った動詞(高める、引き上げる)が追ったというのが順当。

jimmyからも動詞「短いかなてこでこじ開ける」が生まれています。

Hello, dolly!

Dollyは、DorothyやDolorethやDorisの愛称。ミュージカル映画タイトルは英風にハレウ、ドリー、米風にヘロウ、ダーリ、和風にハロー、ドーリー。Dollyにはgift of godという意味があるという。

小文字で始めれば人形dollに指小辞のyをつけた「お人形ちゃん」的呼び名に。

もうひとつ忘れてならないわけでもないけれど、この大デリバリー時代によく目にするものがこれ。

台車だ。手押し(引き)ハンドルのないものをdollyというが、このようにハンドル付きのものはplatform dolly、platform truck、pushcart dolly、flat dolly、push cartなど名が多々ある。

どうして女性の名がついたのか。Online Etymology によると:

From 1790 as “a child’s doll;” applied from 1792 to any contrivance fancied to resemble a dolly in some sense, especially “a small platform on rollers” (1901). Doesn’t look like one to me, either, but that’s what they say.

「お人形ちゃん」が、小さな台車の名にも使われ始めたという。産業革命時だ。この編者も、お人形には似ていないのでは、と言っている。

そういうえば、長年ラジオ講座を担当いただいたサウンドのプロ小林さんは、スタジオ機器のことを「この子」と呼び、効果音付けの際の楽しみでした。この呼び名は別の方も使っていたことがあり、なかなか良いなと感じ入っていましたが、次回は機器の英語名男性版を。

海のイディオムsea changeが教えてくれること

sea change 「目覚ましい・実に大きな変化・変貌」

この熟語の元はシェイクスピア最後の戯曲『テンペスト』『あらし』The Tempest1幕2場、難破して生き残ったミラノ大公に、海底に沈んだと思われるその父に関し、島の妖精がこう唄う場面。

Full fathom five thy father lies:
Of his bones are coral made:
Those are pearls that were his eyes:
Nothing of him that doth fade
But doth suffer a sea-change
Into something rich and strange.

荒訳:五尋の底に父君は横たわり/その骨はサンゴとなり/あの真珠はその目であった/父君は形を失いすべて/海がもたらす変化を通し/豊かで異なものになる。

これが19世紀後半に比喩的に使われ始めます。
Longman Onlineでは、a very big change in somethingという説明のあと、a sea change in … の形でよく使われるとあります。例えば、

  The accident caused a sea change in public attitudes.(その事故は国民の意識に大きな変化をもたらした)

のように。

それから世紀は2度変わり、慣用句は生き延び今日に至り、ビジネス界で人気者となり小規模の変化にもよく使われれます。一方、七つの海には巨大コンテナ船がひしめき、プラスチック”島”があちこちに浮かび、洋上発電ウィンドファームが姿を見せ、海温は上昇を始め・・・。というわけで現在はsea changeという比喩表現が、比喩抜きでネガティブなsea changeに大きく変わりそうではないかと危惧する今日この頃。There might be a sea change happening in the meaning of the phrase “sea change.”

JOYイングリッシュアカデミー講演会の内容について

遠山は10月24日にオンライン講演をすることになっています。すでにお知らせしている内容は:

「文法はどこから始めると英会話にいいのか、発音はどこまでやればいいのか、一人でどこまでできるのか、といった英語の「どこ」に関する学び方や教え方のヒントと方法を提案します。最後は『見えるラジオ・英会話楽習』という”日本初のイベント”に是非ご参加ください。遠山顕」

ですが、こうした「どこまで、どこから」に思いを巡らすうち、「文法をあそこから学び始めていりゃあ」「発音のあの秘訣を知っていたなら」「独習時にどうしてああしなかったのだ」といった後悔の念禁じ得ず、これを公開して皆さんの航海に役立てていただければ、上から目線でない、より遠山風の講演になるかもという思いに至りました。
というわけで、講演タイトル「英会話ああSayこうSay」には、「英会話ああしなかった、こうしなかった」という悔し涙の数滴が滲むとお考えいただければ幸甚です。

スマートフォンのスマートな利用例

親が中三の娘の宿題を手伝う時間がない。そこで娘は国の反対側にいる兄にメールを打ち、彼は仕事中に手を休めて手伝ってやった、という内容。この母/父親は最後に、この自分の仕事(My job here)は終わった・うまくいった(is done)と、子育てという仕事の面で自分が間違っていなかったことを感じている。

across the countryは、「全国に」兄がいるわけではないのであって、ここではacross town町の反対側に、across the street 道の向こうに、across the sea海の向こうに、のように位置を表す。彼(女)の息子は国の反対側に住んでいるという意味。

これを和訳して、それを英作して、覚えて声に出してみては?