こうした本を読みたかった、こうした本で学びたかった、というあたりを、わかり易く書くことで定評のある大津先生の新刊『カタカナ語 なるほど、そうか?!』です。

前回の『カタカナ語 目からうろこ』の続編で、現代の日本語に多く見られるカタカナ語の語源や英語での使われ方などが分野別に紹介されています。
大津先生は、石巻専修大学教授で、震災・津波後の復興にも活躍されています。
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Marching In!
コウアクシデンス
グラウンドホッグデイ
1週間前の今日はGroundhog Dayでした。毎日暦をきちんとめくらないとこういうことになる。
groundhogはリスの一種で、暦を見ると、

自分の巣を作るのに、(2ポンドが1キロ弱なので)700ポンドの重量の土を掻き出すという、タフなマイホームアニマル。
別名woodchuckで、ウッドチャックと辞書は読んでいますが、この名はおなじみ、次の早口言葉界の主人公。
How much wood would a woodchuck chuck if a woodchuck could chuck wood?
文が仮定法なのは、woodchuckあるいはgroundhogは、土を放るのであって、木材は投げないからでしょう。
groundhogはまた、この2月2日に、冬眠を終わって土の中から出て、自分の影を見たら冬はまだまだ長いが、影が見えなかったらそのまま次第に春になる、というドイツ移民のもたらしたfolk wisdom(民衆の知恵)の主人公でもあり、この「土ブタ」と直訳しては可哀想なほどかわいらしいところのあるマーモットは、英語圏の文化で活躍する結構大物なのだ。
上を言い換えれば、晴天だったらまだまだ冬、曇天だったら春は早いということ。元々、Candlemas聖燭祭という儀式(2月2日)が「節分」のポイントと考えられていたことが由来で、
If Candlemas be fair and bright,
Winter has another flight.
If Candlemas brings clouds and rain,
Winter will not come again.
といったゆかしきライム有り。ウッドチャックと鬼は別として、日本の節分と重なるところ大。
僕の好きな喜劇映画『恋はデジャ・ブ』は原題がGroundhog Dayで、

2月2日が延々と繰り返されるという、『ゴーストバスターズ』の名喜劇ライター、ハロルド・ライミスの脚本を、ビル・マレイとアンディー・マクダウェルが大変面白く盛り上げている。同じ日が繰り返される中、マレイだけが疑問を持ち、次に何が起こるかをやがてすっかり覚えてしまい、飽きてピアノを習ううち、なんとうまくなったり!という、継続は力的教訓が有りや無しや。リスニングの材料に持って来いかもしれず(同じ場面が繰り返されるので次第にわかってくるかも)、お勧めします。
最後の一葉
井上宏さんの本 「井上宏の見ーつけた!笑いとユーモア」
今日のラジ英 Hauntについて
hauntは動詞だと、まず「幽霊が取り憑く・たたる」という意味があり、ひと昔前のホラーものには、
I’ll haunt you! I’ll come back to haunt youuuuuu!
といった場面がよくありました。
The ghost of the dead wife haunts the house.
といえば、ラフカディオ・ハーンの「葬られた秘密」The Dead Secretの状況です。
そうした家で、かつ大きい所は、haunted mansion(取り憑かれた屋敷、幽霊屋敷)と呼ばれ、ディズニーランドにも一軒あります。
映画に、The Haunting(『たたり』1963年)というタイトルの作品があり、ぼくは1999年のリメーク(『ホーンティング』)しか見ていないのですが、立派な出来とは言えず、そのネガティヴな後味が、It haunted me for quite a while.でした。1963年版のフルムーヴィーがYOUTUBEにあるようなので、いつかチェックしようと思います。
見えないものを感じさせるというのが”古い”映画の良いところでもあり限界にもなっていましたが、今はCGIを使って出来る限り見せるという方向があり、見せるものがそれなりに怖くないといけません。見えないものが見えないままで怖いという世界が懐かしい。ぼくがラジオ好きなのは、古い人間だからかもしれません。
このThe Hauntingについて、Rotten Tomatoesという映画評のサイトのapproval ratingを見ると、
オリジナル:86% https://www.rottentomatoes.com/m/1009277-haunting/
リメーク版:17% https://www.rottentomatoes.com/m/1090789-haunting/
と圧倒的な差があります。
映画の批評家とアマチュアのコメントがアップされています。興味と時間のある方は是非。
「スターダスト」は、小学生の頃、意味もよく分からずにナット・キング・コールと一緒に歌っていた曲ですが、その歌詞には、
The melody haunts my reverie.
という部分があり、「(去りにし恋人を思うとき)このメロディーが私の夢想につきまとって離れない」ということです。hauntを形容詞にして、
It’s a haunting melody.
などと表すこともできます。この形容詞は「忘れようにも忘れられない」といった意味合いを持ち、美しい、あるいは忌まわしいメロディー・出来事・イメージなどに使われます。
さて今日のラジ英のタイトルOur Old Hauntsですが、このhauntは名詞で、「よく出入りする所、よく行く店」を表し、「たたり」とは無縁です。oldがつくと、「昔よく行った所」のことです。やっと出ました、hauntに明るい用例があるのです。「よく出る」でなく「よく出たり入ったりする」ほうです。
ビジュアル 内容語と機能語
去年の夏、量販店を歩いていたら、DVD売場で英語音読の基本を発見。
in theのポイントが小さく、singin(g)とrainがどーんと目に入ります。
内容語(文字通り内容情報を持つ語。名詞、動詞、形容詞、副詞など)を強調し、機能語(いわばテニヲハに当たるもの)を弱めるのは、英語を原稿から読んだり、話したりするときの基本です。このベーシックなお約束を(ベーシックですから例外もありますが)守ると、英語らしいリズムが生まれ、自己流でない、話しやすく聞き取りやすい英語が生まれます。
機能語の代表に前置詞、冠詞があります。これが上の『雨に歌えば』では何と音声でなく視覚的に弱化されています。話すように描いてあるのです!!!!
(と、驚くなかれ、こうした例は無数にあります)
となりをみると、さらにこんな例も。
これはぎゅっと狭いスペースで目立たせるためのテクニックであり、それはそのまま、ぎゅっと自然な速度にして話すときに機能語を弱めるテクニックにつながっているのです。
日本語では、一語一句をはっきりと、という基本があるので、DVDのタイトルでこうしたテクニックは通常使いられません。長いタイトルの映画としても有名な次の作品でさえ例外ではありません。
これを「の、で、を」を弱化し、「世界、中心、愛、叫ぶ」を強調すると、英語的な日本語になります。試しにどうぞ。
ただ、日本にも、たまにこんな例もあります。
といっても「の」の弱化を求めるものではありません。省スペースのためのみです。それに最近の日本語には逆にテニヲハを目立たせる傾向すらあるようです。それにしても、こりゃまた、なかなか深そうなタイトルですが。
今日の暦 さくら草
カミさんからクリスマスにもらったガーデニング暦の今日のページには、primrose(さくら草)の由来が載っています。first roseの意味を持つprime roseがその語源。バラに似ているのと、春一番に咲くことから、「第一のバラ」ということでしょうが、ただ現代では、すでにこの季節に元気に出回っています。これもひとつの温室効果でしょうか?!
この暦は、米国の伝統的な年鑑The Old Farmer’s Almanac(老農家の年鑑)をもとに、特にガーデニング好きのために作られています。その年鑑は1792年から続く北米最古の出版物で、天気予報からファッションまで、果敢な年間予想が立てられています。例えば3日前の13日の金曜日にあったのは、

「伝統的に、この日が一年で最も寒い日である」とあり、実に”果敢”なところを見せています。ただ、1月という月は2月より寒いという話もあるようですし、とにかく225年の歴史を持つこの本に楯突く気はありません。
この年鑑に興味のある方は、このサイトのLOOK INSIDEをクリックすると中身を覗くことができます。https://www.amazon.com/Old-Farmers-Almanac-2017-Anniversary/dp/1571987029
ちなみに「暦」の語源は「日(か)読み」とのこと。
また、primroseが「第一のバラ」なら、さくら草のさくらもバラ科のようで、おお、マッチングOK! ですが、ただ、さくら草はバラ科ではなくサクラソウ科の植物だそうで、小生の脳内がサクラんしソウ也。素人のガーデナーにはある程度のいい加減さが必要也と見ています。
蝶を見て思い出すこと
夏の始め、散歩中に、道ばたに横たわっている蝶を見つけ、手に取って、しばらく一緒に歩きました。
手に乗ったまま、こちらを見て羽を一生懸命広げているようで、思わず感情移入。
蝶をじっくり見ていると、「胡蝶の夢」という中国の話を思い出します。荘周という男が自分が蝶になった夢を見た話で、すっかり蝶になりきって飛びまわり、忘我の幸せを感じるほどだったのだが、やがて目を覚ませば、そこには紛れもない自分がいる。さあそこでわからなくなる。あのときの私は人間で、自分が蝶になった夢を見ていたのか、それとも今の私は蝶で、自分が人間である夢を見ているのか。
この話の出典は荘氏(Zhuangzi)で、英語圏でもある程度知られていて、例えば次のような英訳があります。
“Once upon a time, I dreamt I was a butterfly, fluttering hither and thither, to all intents and purposes a butterfly. I was conscious only of my happiness as a butterfly, unaware that I was myself. Soon I awaked, and there I was, veritably myself again. Now I do not know whether I was then a man dreaming I was a butterfly, or whether I am now a butterfly, dreaming I am a man.”
このお話、人生振り返れば夢かうつつか、栄華も幸せも短く儚いもの、といった風にまとめられることもあるようです。なるほど、強者が弱者の犠牲の上に殺戮と国盗りの日々を送った二千数百年前の中国は戦国時代の枯れ野に咲いた一輪の小百合のような想いではある。
すこし誇張した結論かもしれませんが・・・












