昨日『いますぐ使える英会話』の夏号の音声部分の執筆と収録が終り、今日は久々に8千歩達成😃。海蔵寺から鶴のいない八幡宮の桜が咲いた参道まで。一段落したからかユタリ。昼、疲れが出て帰路。海外観光客多数。英語以外の会話多数。いろんな言葉があっていいなぁ。ひとつの言語でひとからげてなことは危ういぜよ。夏号の「土用の鰻」には平賀源内が登場するが、ケンブリッジ短期留学の変な英国訛りで拙者の担当である。
鳥居っている。FISH NOW, WORK LATERは帽子のみ。
昨日『いますぐ使える英会話』の夏号の音声部分の執筆と収録が終り、今日は久々に8千歩達成😃。海蔵寺から鶴のいない八幡宮の桜が咲いた参道まで。一段落したからかユタリ。昼、疲れが出て帰路。海外観光客多数。英語以外の会話多数。いろんな言葉があっていいなぁ。ひとつの言語でひとからげてなことは危ういぜよ。夏号の「土用の鰻」には平賀源内が登場するが、ケンブリッジ短期留学の変な英国訛りで拙者の担当である。
鳥居っている。FISH NOW, WORK LATERは帽子のみ。
Too young to drive?
HAPPY EASTER!
最後の一枚が落ちたところで私は逝くと宣言する130歳のシニアを描く『最後の一歯』が撮影開始。日本義歯技師会熱烈後援。
一方海外にも似た動きが。
The Remake of the O. Henry Classic “The Last Leaf” Underway for Big Screen!
”I’ll go when my Daisy goes!” 130-year-old farmer MacDonald’s first line will leave no dry eye in the house. In August, at the theater near you, The Last Beef.
三月の風たちに驚いたか猫の額の庭に「うん?」「え?」と顔を出していた。
こじつけ回答尽くし。How are they doing?
・They’re outstanding!
・They’re up and about!
・They’re up and running!
・They’re out-and-out potato shoots!
・They’re groundbreaking creatures!
・They’re on their own ground!
・They’ve seen the light of day!
四月の驟雨たちが五月の花々を連れてくる。
April showers bring (forth) May flowers.
よく知られたこのイギリスのことわざの大元は三月から始まる。
March winds and April showers bring forth May flowers.
反対側のこちらも吹いたし、今日も吹いている。イギリスに限らず、世界各地の3月はwindyのようだ。その風で近くの山桜が驚いたか、ナイトウォーカーをしっかり動機付けてくれました。ありがとう。
ショートケーキで。「ちなみに場に合った’ロングケーキ’は?」と尋ねると、残念ながらやっていませんとのこと。ショートの意味・語源はともかく、長いプランターのようなケーキは世界にあるのだろうか。ずいぶん長居をしているけれども、もうすこし地上におる予定。
何だか大きな顔をしたのが一輪咲いて、冬枯れ花瓶に割り込む。何かしきりに語っている。
FREEDOM
雪の下から蕗の薹が顔を出すイメージの早春サラダを作った。私の原風景サラダ。ちなみに蕗の薹は生のままです。酢とマヨネーズで食す。大地の苦味入り。大地はベランダのリーフです。
A salad celebrating one of my earliest memories of the North Country.
Butterbur shoot salad
With vinegar and mayo
Bitter taste of spring
さらに
ふたつみつ
よついつつでも
蕗のとう
世界をサラダにはできませぬ
ローカルのパーソナルなサラダで十二分三分
The past is what you remember, imagine you remember, convince yourself you remember, or pretend you remember. Harold Pinter
記憶に関する考察です。分からなくなったとき、このように分けると分かることもあり、余計に分からなくなることもあり、そうすることに気後れが生じることさえあるかもしれません。人間、長く生きると色々なことをし始める。
「過去とは、覚えていること、覚えていると思っていること、覚えていると自分に思い込ませていること、あるいは、覚えていると装っていることである。」 ハロルド・ピンター