Wandering, Not Lostのトールキンハットが厳寒デビュー。

ROAR!
パソコンとマウス持ちふらりファミレスへ。ドリンクバーして食べて書いて原稿がはかどるの何のってあなた。昔ルノアールでよく書いたけれどあの頃は紙と鉛筆だった。
Wandering, Not Lostのトールキンハットが厳寒デビュー。

パソコンとマウス持ちふらりファミレスへ。ドリンクバーして食べて書いて原稿がはかどるの何のってあなた。昔ルノアールでよく書いたけれどあの頃は紙と鉛筆だった。
辞典: an extensive investigation, etc.
私典: an inVASTigation
The sun set bringing the curtain down.

When the sun rose again, I saw you standing there.


ドビュシー、リヒャルト・ワグナーについて:A beautiful sunset that was mistaken for a dawn.
ロングフェロー: Softly the evening came /with the sunset/.
ヘミングウェイ: The Sun Also Rises
KT: The sun sets to rise to set to rise to set …
duplicate といえば書類の「副本」で、「複写・2倍にする」という意味もあり、これに「再び」という意味の接頭辞reを付けたreduplicationは「再重複」という、何だかくどいredundantな意味になる。(実は重複する大元をduplicantと呼び、それが繰り返されたものやそれに似たものが続いたものをreduplicantという)
シトシトpitter-patterなど、英語にも日本語にも見られる単語レベルの表現だ。日本語のそれは「畳語」と総称することもある。パタパタ、ピリピリ、ブルブル、ベロペロ、ポンポンなど、日本語では畳の目より多い。英語は完全に同じものの繰り返しをあまり好まない。pee-pee小、poo -poo大は幼児語だし、no-no禁句・禁じ手やgaga熱狂的やblah-blahベラベラ・なんとかかんとかなどは大人が使うがどこかお茶目で子どもらしさがある。chit-chatおしゃべり、hip-hop、zig-zag、flip-flopゴム草履などは”普通”である。その言語文化の特徴を崩すようなコーナーがスーパーやホームセンターに出現している。

さあ、このexact reduplicationの罠に英語国民がかかるか否か。すでにかかっているのか、I caught so many. It went hoyhoy.などと言い出すのか。そこそこ楽しみ也。
『グリーンブック』は黒人の名ピアニストと、彼が雇った白人の運転手の二人三脚映画buddy movieである。良い映画にはどこか寓話的なムードが漂うが、イソップの教訓moralのように痛みを見つめる教えで終わらないところがイカす。ロードムービーであり、車が止まるごとに起こるひとつひとつの出来事が、50年代の不条理な世相を無理なくスライスしてサプライズと共に次の事件へ運んでくれる。見終わって拍手しそうになったのは『シンゴジラ』以来か。最後にどこか暖かいところへ連れて行ってくれる映画。
個人的な感動名場面: ピアニストが運転手に早口言葉Betty Botterを使って発音矯正をしようとするところ。見所である。
これはこちらのbuddies。



スーパーのレジのカウンター。 小切手を切る人の為のサインだという。こちとら西暦と和暦のダブルでテーヘンだいと思っていたのだが、西暦のみの人々もそれなりか。年が変わったばかりだし。
21世紀になってしばらく経つが、私など19―と書き始めてしまうことが今でも結構ある。196―と60年代までいくこともある。電話は黒が家、赤が外。タイプライターを打っていた頃。氷屋が来なくなった頃。
ベースボールキャップが好きになってからもう10年近く経つ。太古、小学生の頃、絵の塾があった幼稚園の園長さんが監督になって、野球チームが結成され、ジャイアンツの広岡が好きだった私に、親が背番号2のユニホームまで作ってくれた。今はウォーキングや買い物はもちろん、家の中でも被っていることが多い。なんだか、チャーリー・ブラウンの友だちライナス君の安心毛布security blanketのようなところがあるのかもしれない。
ターゲットスーパーマーケットで見つけたのがこれだ。

「さすらっている、迷ってはいない」。これを被ってウォーキングとはしゃれている。
数日後、ぶらぶら本屋をうろついていたところ、このカードが目を引いた。なんと――

そうか。ターゲットの帽子はここから来ていたか。これといった目的もなく本屋を彷徨していた私がEureka!となった。いかすじゃないか、トールキン。
クリスマスの期間は12日。1月6日が最後になる。関東の松の内も6日あたりで松ヶ枝の供養をすることもあるが。
英語島では本土から輸送された樅の若木が12月に販売される。


そしてご用済みになったモミは、住民がそれぞれ車でゴミ集積所に運んでくる。




こうしたツリーに関し、この島では粉砕して園芸・農業用のマルチ(土壌被服材)にする。ひとつのリサイクル法ではある。
2019年1月1日 私の好きな(というより世界中の何億という人々が好きに違いない)詩人ロバート・フロストの詩がまた一編パブリックドメインに入ったという。ピューリッツァー賞4度受賞の詩人。詳しくはこちらで。https://www.washingtonpost.com/history/2019/01/01/robert-frost-wrote-this-masterpiece-about-minutes-it-belongs-all-us-now/?utm_term=.2c12a372e0cd
上のサイトにはその詩も掲載されている。シンプルな語彙と文構造、かつ深い感銘。うれしさ余った結果の大急ぎの拙訳はシンプルかつシンプル(無韻ご容赦)。
これが誰の森なのか たしか私は知っている
彼の家は 村にあるけれど
彼には見えまい 私がここで止まっているのは
彼の森が 雪で満ちていくのを見つめるために
私の小馬は 奇妙に思うに違いない
農家が一軒もないところで止めたことを
この森と 凍った湖の中間で
一年で 最も暗い夕刻に
彼は馬具の鈴を一度鳴らす
何かの間違いではと問うために
音はと言えばあとは吹き抜ける
強くない風 綿毛のような雪
森は 美しく 暗く 深い
だが守るべき約束が私にはある
何マイルも行かねば 眠る前に
何マイルも行かねば 眠る前に
以下 原詩です。
Whose woods these are I think I know.
His house is in the village, though;
He will not see me stopping here
To watch his woods fill up with snow.
My little horse must think it queer
To stop without a farmhouse near
Between the woods and frozen lake
The darkest evening of the year.
He gives his harness bells a shake
To ask if there is some mistake.
The only other sound’s the sweep
Of easy wind and downy flake.
The woods are lovely, dark and deep,
But I have promises to keep,
And miles to go before I sleep,
And miles to go before I sleep.