シオカラトンボは一泊したいのだろうか?

夜、散歩と買い物のあと帰宅し、野菜を見に外に出る。閉めたばかりの窓を叩く音がするので振り返るとトンボが、明るい部屋に入りたがっているのか、しきりに窓にぶつかっていく。どうしたと声を掛けると、今度は僕に向かってきて腕や手にぶつかる。写真を撮ろうとしていると静かになってしまった。と、窓の底部にじっと止まっている。

入りたいのだろうと決め込んで窓を引くとサッと中へ消えた。後を追って窓を閉める。しばらく羽音が聞こえ、静かになる。見ると、スタンドのランプの下に止まっていた。写真を撮っても動かない。呼吸をしているのは、胴体の動きでわかる。(トンボも呼吸はするだろう。)こちらがベッドに座って静かにして20分経ってもシオカラは同じ格好のままだ。

買い物を仕事部屋の小冷蔵庫に入れるため明かりはそのままにして、ドアをそっと閉めて出る。なんだかんだとやることをやって、あ、そうだと思い出す。静かにドアを開けるとまだ同じ格好のままランプにぶら下がっている。一時間は優に過ぎている。
トンボは大好きな生き物だ。赤トンボを指に止まらせるのはかなり上手いと思っている。子供のころ、北海道時代、オニヤンマやギンヤンマがたくさんいる池があって、皆で捕虫網を持って繰り出した。シオカラはターゲットには入ってなかったが、どのトンボも池をぐるぐる回って飛ぶ姿がいまでも妙にうらやましい。
前回はドッペルゲンガーの話題だったし、胡蝶の夢という話もあるから、このトンボは私なのか、それとも別の人物がなどと考えながら、今夜は泊まってもらうことにする。明日窓を開けると「あばよ」と消えていくのかな。ガじゃあるまいし、きみにとってランプは何なのですか。2時間。ドアをそっと開けると。

doppelgänger

読み方: どップゥギャンガー (独語から)

意味: 1)ドッペルゲンガー(日本式読み) 自己の生霊
    2)うり二つの他人 (現在はこちらの意味が中心)

Cambridge Online: a spirit that looks exactly like a living person, or someone who looks exactly like someone else but who is not related to that person

英語に直訳して: double-goerとも、時に半独半英でdoublegangerとも言う。

よくSFやミステリー小説に現れることがある「そっくりな他人」は、unrelated look-alikeなどと言われますが、The New York Timesでは、その実例が、当然のことながら、写真入りで紹介されていました。

out thereは「外のあのあたり」、「あの世界・分野」、「あそこ」といった意味で、It’s a jungle out there!というよく知られた言い回しには、「外・あそこは弱肉強食の世界」「世は無情」「あそこはルールなんてありません」などなど、密林が気を悪くするような意味で使われます。

Jeanne Bédard and Jessica Gagnon, Montréal, 2015.
Charlie Chasen and Michael Malone, Atlanta, 2014.

これらの写真は「ミスター・ビーン」の俳優とのlook-alikeである写真家ブラネルさんがが作った”doppelgängerたちの写真集I’m Not a Look-alike!シリーズからNYTが借用したものということです。

The two friends, along with hundreds of other unrelated look-alikes, participated in a photography project by François Brunelle, a Canadian artist. The picture series, “I’m not a look-alike!,” was inspired by Mr. Brunelle’s discovery of his own look-alike, the English actor Rowan Atkinson.

https://www.feeldesain.com/im-not-a-look-alike-strangers-that-look-like-twins.html

DNAの造顔システムには限りがあるという科学者の意見です: 

 There are, after all, only so many ways to build a face. “Now there are so many people in the world that the system is repeating itself,” Dr. Esteller said. It’s not unreasonable to assume that you, too, might have a look-alike out there.

hot chili pepper 焼けつく様な陽の下のトウガラシ

トウガラシ、chili pepper。肥料もやらず地面に刺したままなのに上に横に元気に広がり続ける。鉢でも元気だとのこと。こう暑いとhotがダブルになりそう。

小さく刻まれたり粉状にされたものをcayenne pepper(カイエンペプ・ケイエンペプ)と呼ぶ。

I’ve got Bob Dylan’s “Romance in Durango” playing in my head now.

♫ Hot chili peppers in the blistering sun …

冷凍だと持ちが良いらしい。Cool.

7月24日イベントリポート3

語っている写真をもう一葉発見したので忘れぬうちにアップします。私設の全音域を使い個人的に大変快い歌と語りでした。前夜の緊張と当日の的確な照明とで頭がマリー・アントワネット化していますがホッとしたせいか元に戻りつつあります😆。

笑涙琵琶語り。皆さんとの写真も再度。

朗読劇と琵琶語りリポート2

朗読劇『あの夏の日の記憶』 様々な記憶が次々と読み起こされました 

第二部 衣紋掛けに60年代初期おそらく手ぬぐいを縫い合わせて作られた「原子の火」などと染め抜いた原研を祝す浴衣 祖母から母、僕へと流れ漂い2022年7月24日   
イベント終了後 みなさまお疲れ様でした

終活より収穫 Tomato Shower & Cicada Shower

バルコニアンの昨日の収穫。見落としていた葉隠れキュウリは無茶苦茶。陽が強いためかチェリートマトの皮が厚い。それほど甘くないが、有り難く思えば今日の甘さかな。水を切らすことも影響があるようだ。

ゴミを出しに一度のみ外出。帰りに見上げれば、山桜セミの時雨れて蒼涼し、くもなかった。暑い。よく続くなあの声というのか音は。

Wild sakura tree
In a cicada shower
Cool green leaves
Not

遠山顕の和英琵琶語り リポート1

去る7月24日はらんきょうの会による朗読劇「あの夏の日の記憶 ヒロシマ ナガサキ そして」が上演され、第二部として「遠山顕の和英琵琶語り 祇園精舎&狢(むじな)」を行いました。立派な劇場の音響・照明・スタッフの皆さんに助けられ、また会員の皆さんのお世話になりながら、笑涙琵琶語り部として、のびのびと声を出し、笑いと気付きの時間を観客の皆さんと共有することができたように思います。僕は今回の公演でエンジンが掛かりました。これから再起動です。皆さん、どうぞよろしく。公演の画像は別のリポートで。以下、招待頂いた作家鶴文乃さんの暖かきコメントです。FBより。

24日、NPO法人ヒューマンライツネット
はらんきょうの会の朗読劇「あの夏の日の記憶」と、遠山顕先生の和英琵琶語り「祇園精舎/貉(むじな)」の公演がありました。コロナ禍の中、久し振りの制限なしの観客を入れて開催されました。前半は、広島、長崎の原爆禍の証言の朗読で、小学生からシニアの世代が、上手に読み上げて核兵器の恐ろしさと平和の尊さを伝えました。8歳の孫は爆弾、死ぬなどの言葉に耐えきれずホールを出てしまいました。彼はレストランのテーブルに這っているありんこを、そっとつまんで外の土の上に逃してやるような優しく繊細な心を持っていて、我慢できなかったようです。遠山先生の琵琶の演奏になって、再び席に戻った孫は、琵琶の音色と遠山先生のユーモアに富んだ語り、日本語と英語で、どこまでも続く声に圧倒され聴きいっていました。琵琶の演奏と言えばかしこまりそうな印象もありますが、観客の参加を促しての終演は、みごとなものでした。怖い悲しいのは嫌だと泣きっ面の孫がすっかり笑顔になっていました。すばらしい!!私は、亡き母が独身時代筑前琵琶をやり、疎開先で収納小屋が荒れて、哀れな姿になっていた琵琶の事を思い出し、彼女の法名を書いたカードをポケットに入れて聴きました。少しは供養になったかな~と。すばらしい1日に感謝。
またお目にかかりマスク。修了後、鶴文乃さんとつくば駅前で。