この英語は何を言おうとしているのだろう?
この日本語は英語でどう言うのだろう?
英語から始まる学び方は、知らない海へ船を出すイメージ。
日本語から英語を考える学び方は、海図の中にそれらしい島を探すイメージ。
対訳のおかげで、中学・高校・大学と私の勉強は明るいものになりました。教科書には対訳がなかったけれど、参考書類にはあった。ケネディーの演説を暗記したときにも対訳があり、冗談半分に古書店で買った『ハムレット』も、右ページの対訳があったから左ページへの興味を維持できた。英語の海を漕ぎ行くのがつらくなると対訳君が泳いで来てくれた。
1994年からラジオ『英会話入門』を担当することになったとき、私は編集の方に、対訳をできるだけ大きく掲載するようお願いした。
見開きで右に対訳。そこから興味を持ちはじめてもらう。それが私の対訳君への恩返しだった。こうして「東の門」から入り、西へと向かう。対訳を見るのはズルをすることではなく、自分に興味を覚えさせる”手”なのだと考え方を変えてみると、左右の脳間の往来が盛んになり、楽習へとつながる。
この古書店だ求めた古書がさらに古書になったものの画像は本人には”ときめき”だが、ジュラシックブックで大変恐縮。
まあ、ちらほら学んでいたようだ。この劇は、詩的なセリフと物言いとで(ときどき日常会話が入るけれども)観客をロンドンからデンマークへ一挙に転送するもの。高校生の私はロンドンにも行っていないのだから何センチでも進めば感動したものだ。今も小舟を漕いでいる日本人を北海で見たという報告が時折入って来る。
『遠山顕のいつでも!英会話楽習』でもぜひ、この「東門式」を試してみてくほしい。余白も十分あるので、そこに学んだヒントになる語彙を書き込み、あとで英語にしていく手も有効だ。
ともあれ対訳君の澤村先生と研究社出版に多謝限り無し。