台風8号が来る前に穫り入れた。

去る7月24日はらんきょうの会による朗読劇「あの夏の日の記憶 ヒロシマ ナガサキ そして」が上演され、第二部として「遠山顕の和英琵琶語り 祇園精舎&狢(むじな)」を行いました。立派な劇場の音響・照明・スタッフの皆さんに助けられ、また会員の皆さんのお世話になりながら、笑涙琵琶語り部として、のびのびと声を出し、笑いと気付きの時間を観客の皆さんと共有することができたように思います。僕は今回の公演でエンジンが掛かりました。これから再起動です。皆さん、どうぞよろしく。公演の画像は別のリポートで。以下、招待頂いた作家鶴文乃さんの暖かきコメントです。FBより。
24日、NPO法人ヒューマンライツネット はらんきょうの会の朗読劇「あの夏の日の記憶」と、遠山顕先生の和英琵琶語り「祇園精舎/貉(むじな)」の公演がありました。コロナ禍の中、久し振りの制限なしの観客を入れて開催されました。前半は、広島、長崎の原爆禍の証言の朗読で、小学生からシニアの世代が、上手に読み上げて核兵器の恐ろしさと平和の尊さを伝えました。8歳の孫は爆弾、死ぬなどの言葉に耐えきれずホールを出てしまいました。彼はレストランのテーブルに這っているありんこを、そっとつまんで外の土の上に逃してやるような優しく繊細な心を持っていて、我慢できなかったようです。遠山先生の琵琶の演奏になって、再び席に戻った孫は、琵琶の音色と遠山先生のユーモアに富んだ語り、日本語と英語で、どこまでも続く声に圧倒され聴きいっていました。琵琶の演奏と言えばかしこまりそうな印象もありますが、観客の参加を促しての終演は、みごとなものでした。怖い悲しいのは嫌だと泣きっ面の孫がすっかり笑顔になっていました。すばらしい!!私は、亡き母が独身時代筑前琵琶をやり、疎開先で収納小屋が荒れて、哀れな姿になっていた琵琶の事を思い出し、彼女の法名を書いたカードをポケットに入れて聴きました。少しは供養になったかな~と。すばらしい1日に感謝。

英国のジョンソン首相が辞意を表明し、「世界最高の仕事を辞めるのがいかに悲しいものかわかっていただきたい。だがこればっかりは仕方がない」
“I want you to know how sad I am to be giving up the best job in the world. But them’s the breaks.”
と述べた。最後の”Them’s the breaks.”(直訳:それらだ、ブレークスは)は、pool(ポケットビリヤード)などから来ているという説がある。こうしたゲームはスタートで、枠rack(ラック)にボールをrack up(入れる)し、枠を取り、プレーヤーが白いcue ball(キューボール)でそれをbreak(ばらける)する。どんなに不利な形で球が残っても、それを変えることはできない。
ではThemとは? the breaksとは?
これは推測の域を出ませんが、この慣用表現のthemは、ブレークした結果テーブルに残った球たちや状態(たち)を指し、the breaksは「あれこれあるブレークというもの」といった気持ちで複数をtheで限定し、ただThe breaks are them.(ブレークというものはそれらだ)とサッパリした感じにせず、Themとthe breaksをひっくり返してTHEMという感じに響かせ、それをisの短縮形で威勢良くリズム良く単複など気にせず「これもブレークっちゅうものだ」といった風に結んだのではないか。
ざっくばらんで砕け散るような表現ながら、ユニークな髪型を貫い方らしい物言いとも言える。お馴染みの類似表現を挙げておきます。
That’s the way the cookie crumbles.(そうなるのは仕方がない)[クッキーなるものはそう崩れる]
C’est la vie.(それが人生)
詩人で作家の鶴文乃さんが一声をかけてくださり、実に久々に和英琵琶語りをすることにいたしました。毎年恒例の朗読劇の前座(後座?)として、7月24日筑波へ参ります。もし近隣にお住まいの方に連絡がつくば、よろしくお願いいたします。
情報: http://www.chikunavi.info/event20220724.html

琵琶: Hey, you’re still around? 私: You, too?
BIWA: やあ、まだいたのかい? ME: 君も?