ナデシコからツユクサへ

The pink (ナデシコ)has turned white and been taken over by dayflowers (ツユクサ).

You’ve done well. Thank you.

花の命は一日と短いのでdayflowerだという。
葉や若い茎や花まで食べられるedibleだとある。
露ほども知らなかった。
が、猫の額には5本残るのみ。
煮ても生でも癖なく美味いという。
愛でる目が変わりそうだ・・・
薬にもなる(medicinal)というから何だか崇高にさえ見えてくる。

Tofu-m it may concern.鶏味噌団子と揚豆腐の野菜煮

最近団子が面白い。で、英語レシピを。量はニーズによってお任せとし、団子は汗して丸くせず“団塊”で十分。味や柔らかさ加減は鍋に寄り添ってセルフチェック。鶏挽肉200gで1~2食分か。出し作りをもっと工夫し、そこに好きなものをあれこれ放り込む方向性が生まれるのが理想。自分にとって最初で最後の英語レシピにならぬよう、うまく料理つできるといいのだが。

To make this dish, you need ground chicken, fried tofu, cabbage, carrots, and daikon.

Bring a pot of water, dashi, mirin, shoyu to a boil. Then add chopped fried tofu and vegetables. (I love to tear cabbage leaves by hand, grrrr.)

While it cooks, or before you do the above, use the belly of a chopping knife and flatten and spread the ground chicken. Add a bit of water to miso and dissolve it, then extend it over chicken. Use a spoon to shape meatballs.

When the veggies are almost done, add the meatballs and let the pot cook for a couple of minutes. (JUST KEEP CHECKING & TASTING!) And you are done!

ゴッホの木 炎の髪

糸杉を見るとゴッホの絵とゴッホを思い出す。リンゴやオレンジなどの静物画を見るとセザンヌの絵を思い出すがセザンヌを思い出すというところまではいかない。ゴッホの絵はゴッホという人と絡み合い、互いにしがみついて離れないようなヒートとパワーを感じさせる。なぜか鶴ヶ丘八幡宮太鼓橋横のたもとに糸杉がある。それはゴッホの髪を想起させる。

鶴ヶ丘八幡宮太鼓橋横の糸杉

このところ僕の髪が肩までのびてコントロールできなくなりそうで、このゴッホの木に勝つかもしれない。(あくまで形であって内容がこれほど充実しているわけではないのが残念だ) 遠くなったヘアカッターの宮崎さんのところに行きたいものだ。あれこれ話をしながら、シザーハンドを休めて笑ってはまたシャキシャキとやってくれるだろうな。
 写真に白い点々が見えるが、dandruff(「フケ」にしては雅びなる綴りだが)ではないようだ。何だろう。
 糸杉は英語でcypress。ここでのeの音は、口をゆるめ、やや開いたまま喉のあたりで出すので、pressはプレスせず、「prゥs」のように意識していい加減に力を抜くとよく通じる。キプロスという国や島も英語では糸杉と同じ発音をする。(その名はこの木が由来という語源説があるようだ)
 発音といえば、炎の人は日本では「ゴッホ」だが、英語では「ゴウ」で、姓のみの場合はVan Goghとなり、I love Van Gogh’s Cafe Terrace at Night のように言う。Gogh doesn’t go anywhere.である。
 子供時代、美術学校へ通っていた姉の本棚に並んだ本をよく開いた。ゴッホは油絵具をあんなに沢山使って、それだけでも凄さがあった。弟さんは大変だったろう。
 炎の髪に戻れば、これからcypress headというスタイルが生まれるかもしれない。日本語で「キプロス頭」か。これはイカすだろうか。

ある名探偵の不運の謎に迫る

調査中にひどい捻挫をしたベルギー人の探偵を何と呼ぶ? What do you call a Belgian detective who sprained his ankle badly?

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Poorot.

????A・クリスティの筆による名探偵Hercule Poirotの和読みはエルキュール・ポワロで、フランス語読みに傾いたもの。英語ではHerculeのHを発音し、ハーキューl・ポアロウに近く、ハーキューlはハーに、ポアロウはロウにアクセントがある。poor(可哀想な)は「ポア」と発音される(特にイギリス英語)こともある。
????表記だと面白く、口に出すときはPoorのところで強く「プーr」あるいは「ポーア」と発音するとまあ面白いでしょう。

庭の千草が主役ではない「庭の千草」

♫庭の千草も虫の音も・・・は「庭の千草」の出だしだが、原曲はアイルランドの”Last Rose of Summer”だそうだ。愛日の歌詞を見ると、

‘Tis the Last Rose of Summer left blooming alone
All her lovely companions are faded and gone
No flower of her kindred no rosebud is nigh
To reflect back her blushes or give sigh for sigh

そは晩夏に残され ひとり咲く薔薇
美しきともがらは みな色あせ果てぬ
身よりなく 開かんとする蕾みも見えず
その紅を愛で 溜息を返すものも無し

紅い薔薇のようだ。一輪ポツリと咲く。

日本語の歌詞。これはなぜかよく唄った。

庭の千草も虫の音も
枯れて淋しくなりにけり
あゝ白菊 あゝ白菊
ひとり遅れて咲きにけり

紅薔薇が白菊に変わっている。
季節はアイルランドの晩夏から日本の晩秋(2番に「霜」とある)へと進む。
そして日本版のタイトル付けは、原曲の「晩夏の薔薇」に倣ってはいない。
それと、当時の僕は、庭にいる千草さん・・・というイメージをかすかに認識していた節がある。
なぜ「晩秋の白菊」といった題名にしなかったのはここでは不明だが、これでは「白菊」へのフォーカスが甘くなるか。「ああしいらあぎく」と繰り返すところは声楽家になったような気がした。両者とも要するに遅れて咲くことの孤独がテーマのようだが、なにゆえ、これを結構よく唄っていたのだろう。
今回は一見意味の無い内容ではあるが、再見意味ある内容とは思えない。それもこれも過日目にした晩春の最後の桜数輪のせいだ。

あんこ天国の中央部に貢献したあとは、桜餅をつかむ指をべとつかせない衣として、存在感を持続する染井さん。 甘味こそあれ、ラストに咲く悲しみは感じられない。次は葉陰で貢献か。

a phrase to remember: 皆一緒なんです

大岡山の東宝コーパで見た総天然色『地球防衛軍』は、共通の敵を相手に世界がひとつになって戦うという、私にとって、そして多分日本映画史上でも初めての作品ではなかったか。会社が違うこともあり頼んでも無理だったろうが、小津安二郎は原節子が主役にならなければ絶対に撮らなかったろうし、 溝口健二は田中絹代と大船に飲みに行ったかもしれない。東宝の 黒澤明・三船敏郎コンビだって首を振ったろうし、大映の勝新太郎は俺一人で防衛するなら考えると言ったに違いない。
ゴジラやラドンは東京とか福岡など日本を狙ったが、話はそんなレベルではなかったし、あっという間に完成したパラボラアンテナみたいな最新兵器から、得も言われぬ音と共に光線が出る場面ではワクワクドキドキしたものだ。

いま、キュルキュル、バリバリ、ピロピロピロとはいかないのが辛い。そしてまとまりが崩れそうになるたびに 、ニュースキャスターやコメンテーターや知事や市長や市民は、

We’re all in this together.

と言う。言葉の綾もイディオムの妙もない、シンプルでファクチュアルな一言。間違いなく。