MBI ファミリーデイ

昔10年ほど英語自己表現コースを担当していたMBI(Multinational Business Institute)の同窓会に招待されました。1ヶ月間社のデスクを離れて国内研修、続いて米国、欧州でそれぞれ1ヶ月ずつ研修という、とても変わった3ヶ月コースで、そのうちの国内研修で合計700名近いビジネスパースンズを教える機会を頂きました。86年から約10年、優秀な企業マン・ウーマンの皆さんに英語でああSayこうSayとアドバイスしていた自分が信じられない気持ちです。

会場は東大の本郷キャンパスにある記念館。参加者の卒業生とご家族(の一部)です。

R0019629

現在東大EMPという別のコースを担当していて、同じ建物で教えることがあるのですが、その地下2階にこんなホールがあるとは知りませんでした。東大もと暗しです。

近況報告をしています。(ジャズを歌っているのではないのが残念)

CIMG1246

好きな和英混淆駄洒落をひとつ。うまくいきました。

CIMG1242

名かつ名物ディレクターの菅野妙子さんの横に割り込むよう指示されて記念撮影です。

CIMG1320

参加者やそのお子さんの中には拙番組を聴いていた・聴いているという方もいらして94年から電波上で教えていて良かったと思う嬉しいモーメントが多々ありました。81年から11年教えた「ラジオ百万人の英語」の話も飛び出して驚きました。そしてお孫さんへのアドバイスまで求められ、頑張らねばと思った次第の楽しい会でした。

迷語録の元祖ヨギ・ベラ逝く 

何々ismとは通常「何々主義」と訳されます。が、誰々ismsと言うと「誰々迷語録」となります。この点について掲載のある辞書はあまりないのですが、直訳すれば「誰々主義」となるので納得しやすいのではないでしょうか。迷言のひとつひとつが誰々ismで、それが集合したものというわけです。(このismの使い方には、からかい半分的ニュアンスが反映されています。)

先月亡くなった元NYヤンキーズ捕手のヨギ・ベラは、その活躍に勝るとも劣らぬYogismsで有名でしたし、これからも迷語録の元祖の一人として米国の、広くは英語圏の大衆文化に存在し続けるはずです。

Yogiはsandlot baseball(草野球)時代、ヒンズー関連の映画に出ていたヨガの行者に似ていたことから付けられたニックネームだと、ウェブサイトYogi Berra Museum Learning Center(ヨギ・ベラ博物館学習センター)http://yogiberramuseum.org/about-yogi/にあります。彼はイタリア系ですが、確かに野球をしている写真を見るとヨガの先生のように見えなくはありません。

捕手の言葉と言えば日本ではノムさんこと野村克也語録が有名ですが、ヨギ・ベラの語録にあるのはすべて一見理屈の通らないものばかりで、大向こうをうならせないところが大人気の源です。代表的なものが、英会話でIt ain’t over….と言えば、till it’s over.と返ってくるほど有名な

It ain’t over till it’s over.(終わっちゃいないぞ終わるまでは)

そして

If you come to a fork in the road…take it. (二叉路に来たら・・・そのまま行け)

Hmmmmmmmm.(う~~~~む。) これは私の反応語録からのものですが、英語にthink out of the box(箱から出て考える)、think outside the box(箱の外で考える)というフレーズがあります。彼の迷言は全てこの箱の外(それもかなり出た)発言かもしれません。

You can observe a lot by watching.(じっと見ることで沢山観察できる)

これなど捕手としての視点からの発言でしょうが、語彙不足的(笑)ともなりそうです。

Always go to other people’s funeral. Otherwise, they won’t come to yours.(他人の葬儀には必ず行け。さもないと自分の時に来てくれない)

Pair up in threes.(3人ずつペアになってください)

このあたりまで来ると、他の迷語録と同じで、いろいろなライターが勝手に加えた感じもあります。

ヨギ・ベラたちのおかげで、英語迷語録をもとに自らの語録を作る癖が未だに抜けない私ですが、ここでヨギに触発された昔の自作を。

If nobody comes to my funeral, don’t worry, I’ll be there.(誰も私の葬儀に来ない場合、心配しないでいい、私が出ます)

それはともかくthinking out of the catcher’s boxを実践したヨギ・ベラの、行者を越えるほど深遠かつ淺近なる迷言群に感謝します。Here’s a smile for you from the bottom of my heart.(?)

BBCのオマージュは、https://www.youtube.com/watch?v=iV0Smtof8zQ で。

166, Yogi.

 

 

覚え易い! 大統領たちのレトリック

何度目になるのか、映画JFKを見ました。オリバー・ストーン監督の大作で、ケネディー大統領暗殺の真相を探る男の物語。主役のケヴィン・コスナーは役者としてgood listenerであると言われますが、これは「ラジオ英会話」を聴いてくれているわけではなく、他の役者のセリフや動きに的確に反応する俳優を指します。彼は終幕までひたすら意見を聞き、情報を調べ、悩む抜くのですが、一転して最後の法廷シーンで、アメリカに残されているはずのjustice(正義)について一気に熱弁を振るう姿が印象的です。そこには米国の良心とされる名言がいくつも引用されていて、どこか学生の発表のような印象もあるけれど、勧善懲悪に弱い(I’m a sucker for poetic justice.)ぼくは、いつも感動して見終わります。

感動といえば、高校時代ケネディー大統領の就任演説を暗記したときに、心踊る箇所がいくつもありました。中でもあの有名な、

Ask not what your country can do for you; ask what you can do for your country.(国があなたたちに何ができるかを問うな、あなたたちが国に何が出来るかを問え)

は素晴らしく、前半にある語を複数ヒックリ返して後半とするこの方法が大変覚え易いことに驚き、かつ何度も口に出してその”反転の興奮”を感じたものです。

これを、言葉をどう操って人を説得するかという学問である修辞学(レトリック)では「倒置反復法」antimetabole(アンティメタボリー)と呼びます。この方法は覚え易く、印象深く、分かり易い、つまりレトリックの目指すpersuasion(説得)にピタリです。次は、このケネディーの言葉に応えるかのようなオバマ大統領の言葉です。

You stood up for America, now America must stand up for you.(あなたたちはアメリカのために立ち上がった、今度はアメリカがあなたたちのために立ち上がらねばならない)

同じ米国大統領でHonest Abeというニックネームのあるリンカーン大統領で、次のように、結論に否定形を用いることでよく知られています。

Government of the people, by the people, for the people shall not perish from the earth.(人民の人民による人民の政治は地上から消滅するものではない)

また、彼の言葉とされる次の名言も否定形で終わっています。

You can fool some of the people all of the time, or all of the people some of the time, but you cannot fool all of the people all of the time.(一部の人を常に騙したり、全ての人を一時期騙すことができるが、全ての人を常に騙すことはできない)

最後にKOSブログとして気になるのが倒置反復法式の次の言葉です。

We don’t stop smiling because we grow old, we grow old because we stop smiling.

田邊祐司さんの新刊

Asahi Weeklyに連載していた記事をまとめた田邊祐司先生の新刊『一歩先の英文ラインティング』が出ました。

巻頭に、大学入試の影響について、「難解な語彙(big word)の暗記と読解に明け暮れがち・・・その結果、いざ自分の意見や考えを文にして示す必要が生じても、文法・語彙的には正しいが、どこか違和感のある英文を書いてしまうことになる。もう一歩先が足りないのである」とあり同感です。

IMG_0752

基本的な語を使い、big wordを(専門語以外は)避けながら、リズムのある生き生きした英文を書きたいという方にお薦めします。

 

 

右も左もRやLじゃあござんせんか

/r/の音はハワイ語にはないので、ハワイの地名、道路名、人名などの発音はそれほど苦労はしません。たとえばMerry ChristmasはMele Kalikimakaで、母音が強く、l音も強めですが、メレ・カリキマカと、ぼくでも読める。英語が入ってきてから、ハワイの人々は/r/の発音を覚えたのでしょう。

さて、green waste(緑のゴミ)はピックアップトラックに積んで捨てに行くのですが、本道からturnoffに入り、200mほどでtransfer station(集積所)があります。その区間にあるsigns(標識、看板)の写真を撮ると、RとLがあちこちに。見て読めるのは大変良いのですが、見て言えるのはなお良い。あちこちに出現するubiquitousなこの2音。問題なく出て来るまで練習台にどうぞ。

030

039

038

034

033

032

036

037

 

 

今日の『ラジオ英会話』 無冠詞のface イディオムを見つめて 3

「バツの悪い思いをする」 Having an Upsetting Momentというタイトルのダイアログです。冒頭に女性が、

I lost face at work. (職場で恥をかいてしまったわ)

と言います。lose face(直訳:顔を失う)に一番近い日本語表現に、「面目を失う」があります。

この英語表現は中国語に由来するとして、The American Heritage Dictionary of Idiomsには次の説明があります。

Be embarrassed or humiliated, especially publicly. For example, Terry lost face when his assistant was promoted and became his boss. Both this expression and the underlying concept come from Asia; the term itself is a translation of the Chinese tiu lien and has been used in English since the late 1800s.

ある中国語表記には「失面子」があり、これは日本語が「面子を失う」として借用吸収。

faceは無冠詞です。lose a faceだと「あるひとつの顔」、lose the faceなら「その顔」となり、実際に誰かの顔をなくす生々しいイメージが浮かぶ。lose my faceだと、怪談「むじな」で、シニアの男性を夜更けの紀伊国坂で死ぬほど怖がらせるノッペラボウの蕎麦屋的現象が自分に起こることになる。というわけで概念的象徴的な無冠詞・無所有代名詞の”手”が施されています。

ちなみに「面目を保つ」という意味のsave faceという表現もあります。

11 8月4日 遠山顕先生 092 (1) 八雲作「むじな」  自分の顔を失って相手の肝をつぶす趣味の悪い蕎麦屋を語るYours Truly

今日の『ラジオ英会話』 eyeかeyesか イディオムを見つめて 2

複数の概念のほぼない母語を持つため、英語の単複意識の”うるささ”に閉口するという体験は誰にもあるのでは。ただ英語のイディオムに関して言うと、実にいい加減な、あるいは不可解なカウントをしているものが多い。今回の職場でのダイアログでは目を使ったイディオムが次のように使われている。

Smith and I don’t see eye to eye.(スミスとは意見が合わない)

これなど、see eyes to eyesと言ったほうが意見がもっとぴったり合うと思うのです。ただ、冠詞ナシの名詞は、概念を表すことがある。これなど理解という概念を目に託するといった”気分”で成立しているのかもしれない。それに言いやすさ、これも大事です。eye to eyeはやはりずっと言いやすい。これはどうだろう。

Could you keep an eye on this suitcase for a minute?(このスーツケースを少しだけ見ていてもらえますか?)

これは明らかに現代日本語で言えば目1個である。もう1個はどうするのだろう。これなど、お忙しいところ恐縮ですが、ひとつ貸してくださいな、という感覚なのかもしれない。複数よりは言いやすいし、複数だと生々しい感じもする。そういえば、

Would you lend me a hand with this table?(このテーブルを運ぶのにちょっと手を貸してくれますか?)

にしても、本当は両手を借りたいに違いない。ただ、これにも一種の遠慮がありそうだ。次のイディオムはやはりこのまま複数がよいでしょう。

She cried her eyes out.(彼女は大泣きした)

これ、両目が流れ出るほどというイメージ。

You’re a sight for sore eyes.(あなたは眼福です)

疲れた目を癒やすような、保養的な景色があなただ、ということ。こうなるとやはり両目でしょう。よく人に使いますが、ものでも大丈夫。こうしたsightはどこにでもあります。個人的には夕景がほっとします。たとえば量販店での買い出しが終わって外に出ると駐車場が。

019

今日の『ラジオ英会話』 earかearsか イディオムを見つめると

月曜日のDinner Guestは、貫一はお宮に対する怒りの気持ちを誰彼かまわずしゃべりたてるから、彼をディナーに招待するのはよしましょう、という結論に達するまでのダイアログです。

尾崎紅葉の超人気小説『金色夜叉』、The Golden Demonは新聞に6年間連載されたという。私の幼少時代には、「熱海の海岸散歩する貫一お宮の二人連れ・・・」という歌や「今月今夜のこの月を僕の涙できっと曇らせてみせる」といった小説から(らしい)のセリフが流行り、何と歌ったり言ったりしていたことがありました! 家や学校や友達と道で日本語のリズムを体感していたのでしょう。学生服・学帽・マントの男性が着物姿の女性を下駄を履いた足で蹴るという、砂浜ではやりにくそうなとてつもないスタント場面が有名。熱海では砂浜でなく道路になんとその場面の銅像があるらしい!

ハイヒールのお宮が・・・というイメージの逆成も考えられるけれど、金色のデーモンはこのくらいにして、重要表現が、

He’ll talk your ear off about his problems. 彼は自分の問題を誰彼かまわずしゃべり立てます。

このearですが、傾ける耳、というイメージで単数でイディオムを形成しています。

お昼に時々行くお弁当屋さんのご主人は、「先生、ラジオ聞いていますよ。歌がお上手ですね」と仰るので、おかずのパックまで買ってしまうのだけれど、そのお言葉は、

Music to my ears.

これは美しき楽の音のように両耳に入って来る、どんどん聞きたい、という感じのイディオムであり、同じ複数の、

I’m all ears.  是非聞かせてください。

もまた私は全体が両耳であるというイメージでイディオムとなっています。

Little pitchers have big ears. 子どもは大人の話をよく聞いているものだ。

これはことわざ。小さな水差しには大きなears(取っ手、複数であるところがミソ)があるというイメージを地獄耳(big ears)と掛けています。文法面から見ると、水差しにはearはひとつで、例えば普通の水差しの場合、それを複数にし取っ手を単数にして、All pitchers have an ear.と言えますが、ここでは、わざわざ複数にして、”ただの水差しではないぞよ、大きな耳がふたつ付いているぞ”と水を差すわけです。

言葉は、ルールや理屈を平気で飛び越えるいたずら者ですが、そのまま丸ごと覚えなさい、と自分に言い聞かせずに、じっと見つめる時間も持つことで、安定した言語生活が送れます。

031I’m all ears.という耳なのに大声で呼んでも目を開けないBlonderの日常言語生活態度。About 80 years young.

サンフランシスコの霧と水 その2

サンフランシスコ在の娘が、友人とドライブに出た折りに、市から出ようとするところで撮った写真を送ってくれました。

IMG_0680

町を覆っている霧の外れにさしかかったところです。

smogでなくfogであるところがホッとしますが、それにしてもその向こうの青空と対比すると実に暗い。

英語にWe’re not out of the woods yet.(まだ安全ではない)という表現があります。「森」を危険のシンボルにしたイディオムですが、それを想起させるようなイメージです。

しかし、We’re not out of the fog yet.という慣用表現はないようです。この節水の町に霧がなくなれば、干上がる可能性が大きいからです。

ちなみに、市歌の「想い出のサンフランシスコ」の一節にも霧が登場します。

The morning fog may chill the air, I don’t care.

My love waits there in San Francisco.
Above the blue and windy sea
When I come home to you, San Francisco,
Your golden sun will shine for me!

朝霧で空気は冷たいけれど構わない。私の愛する人が待っている。青く風の強い海の上、私が帰ったときには、お前の金色の太陽が私のためにきっと輝いてくれる!

最後の行のwillは’llとならず、「必ずそうなる」という単純未来形の強調となって、意志さえ感じさせます。さらにこのwillが、ラストの繰り返しの際にはメロディーの山になっています。晴れることの非常に少ない町への願い、ひいては変わらぬ愛への願いがこのwillに込められています。カラオケで感じてみませんか。

 

Uberと世界ramen時代

明日(8月25日)はラーメン記念日。カップヌードルやインスタントラーメンは、すでに世界を席巻しています。新手も続々。

026 漢字堂々。

042 玄米ラーメンまで

そして今世界では、本格ラーメンのブームが始まっていて、日本に行ったらラーメンを食べたい、これが旅行者、特に若者の合い言葉のようです。

この夏は娘の住むサンフランシスコを訪れましたが、移動はもっぱらUber(ウーバー)という新システムのタクシーでした。皆さん気軽に話すドライバーが多く、ある女性はIf or when I go to Japan, I’d like to try ramen.と言っていました。

uberは意味がsuperに近いドイツ語で、近年形容詞や副詞として英語で使われています。

The ultimate, above all, the best, top, something that nothing is better than.

と定義するのは、若者向けの(私も時々チェックしますが)オンライン辞典The Urban Dictionary: http://ja.urbandictionary.com/define.php?term=uber です。

I’m Über confused… とドイツ語表記での使用例が出ています。

世界的流行になりつつあるUberとは、こちらが携帯電話のアプリで現在の位置を地図上に知らせ、それを近隣にいる車がキャッチして、運転手の顔、名前、位置を客に知らせ、概ね数分でやって来るというシステムです。支払いは、あらかじめ登録したクレジットカードを使うので、現金不要。チップも不要。通常のタクシーよりも安価、というもの。

このシステムの創始者Travis Kalanickは、成功するまでの10年間はuber failuresの連続だったという起業家です。その苦労話は、解説付きで分かり易いこのサイトで。

http://blog.btrax.com/jp/2011/11/06/uber/

16分40秒あたりで、彼はその大変な年月について、

I’d like to call these years my blood, sweat and ramen years.(この年月を私は血と汗とラーメンの年月と呼びたく思います)

と述べています。これは定型表現blood, sweat and tearsのもじりです。

聖書の一節、Christ…was bathed in his own blood, sweat and tears.から発し、それを英国首相チャーチルが第二次大戦参戦時の演説に、I have nothing to offer but blood, toil, tears and sweat.と取り入れ、その雄弁さを知らしめ、1967年にはBlood, Sweat and Tearsという、クロスオーバーバンドが生まれ一大現象となり、そしてウーバーのCEOは、涙を取ってラーメンを入れました。

ramenはウエブスター辞典にも掲載されていますし、クロスワードパズルの答えにも利用されています。その代表的なカギ(clue)を紹介すると、

Japanese noodles 何とsobaではない いやsobaもJapanese buckwheat nooodlesやNagano noodlesなど詳しいものもある

noodles for the cost-conscious  コストコンシャスの人々の麺 うーむ

college student’s stereotypical meal   海外の学生さんもやはり

food for which there is a museum in Yokohama   これは新幹線新横浜の博物館かな

世界中にslurp-slurp(チュルチュル)という音が響く時代が来るのか・・・。日本産食材次第に敬遠される中、心境複雑也。お、Uberが来た。

Hey! Uber here!

ひょっとすると、フランクフルト市で観光客がÜberを呼び、ソーセージラーメン店へ駆けつけるなどという光景が来年あたり生まれるかも。