「あの業者さん、とてもよくやってくれました」をexperienceで表すと

勉強部屋のエアコンを見ると、取り外しと取り付けをしてくれた業者さんを思い出すことがある。対応の良さは☆多数。奥さんとの共同経営の会社にご母堂の名を付けたというどこか不穏な?話まで覚えている。新機種のあれこれも教えてもらいながらの数時間は良い体験になった。そうした業者さんを人に勧めたいとしたら? 
 通常、まずは頼んだ先を教える。

  I used So-And-So (会社名なのであえてキャピタル)

 そしてその業者を(heとかsheとかitとか迷わず)theyにして、

  and they did good/great/excellent work!
  and they did a good/great/excellent job!

と結ぶことができる。常道だ。また、

  I used So-And-So and I had a great experience with them!

と言う手もある。この御存知「体験・経験」を表すexperienceは、例えば「あれは楽しい/最高のドライブ(走り)だった!」、「ウィーンを訪れたのはとても勉強になった!」といったことを、

  It was a pleasant/the best driving experience!
  Visiting Vienna was such a learning experience
d!

のように伝えることができる。
 ついでに拙ブログのいくつがの記事も、あなたのlearning experienceに少しでもなれば幸甚。

隣家の解体時、潰される直前のニオイバンマツリ・yesterday-today-tomorrowを譲り受けたいと頼んだところ、油圧ショベルでザクッと掘り上げ取っておいてくれた名も知らぬ業者さん。嬉しき活着後、上端に新しい枝が伸びて来ている。ありがとうございました。来年は御恩返しの花盛りじゃ。

田邉祐司さんの本

NHKラジオ基礎英語の講師もされた田邉先生から新刊が送られてきました。<動詞+前置詞/副詞>表現を前置詞/副詞から分類。ワンセンテンスの英作文とわかりやすい解説がついています。

英語で作る自分のルール 「5秒ルール」について

食べ物を落とした、卓上に、ソファに、フロアーに! そんなとき、パッと取ってひと言、

  Five-second rule!(5秒ルール!)

と誇らしげに発して口にポイと入れる人を何度か見たことがある・・・だけではなく自分も時たまそれをする。素早い人だと、

  Three-second rule!

と言うこともある。フレンドリーな、カジュアルな場で、それが起こる。

     Tough decision!!!!! A polippi on the floor.

拾いながら、食べちゃいながら、

  Five/Three-second rule, right? (5・3秒ルール、でしょう?)

と言う人もいる。Wiki売りをすると、

  The five-second rule suggests that if they (ここでは落としたイチゴらのこと)are picked up within five seconds, it is safe to eat them without rewashing.  https://en.wikipedia.org/wiki/Five-second_rule#:~:text=The%20five%2Dsecond%20rule%2C%20or,and%20thus%20exposed%20to%20contamination.

 信憑性を検証せんとお節介入する科学者もいるとのこと。非科学的な私は、あまり落とすほうではないけれど、ピックアップするまでの時間によって、10秒、7秒、20秒など、勝手に数字をトップに持ってきたりする(独り言が主だ)。

 規則は破られるためにある、とか、規則は破られるために作られる、と訳されるのが、

  Rules are made to be broken.

という格言だ。

とにかく、勝手に迷信レベルの話をしている者なので、それにその者は、あちこちで拾い上げながらも今まで生き残ってきたのだから、2秒までセーフ、それ以上は殺菌とかいったルールを作らないよう、WHOなど世界の科学者にお願いする次第。

今はもう秋 誰も

いないわけではない円覚寺へ。山門の横の、時々放課後の高校生男女が座って延々と話をしているベンチは空いているので座って伸び。また始まった戦争を思う。ネゴとかナゴとかいうのはないのか。深い闇に始まり、晴れて両者とも負け、数えきれない死が有り、憎しみの生が始まり、いいことない。わかっちゃいるけど植木等氏。

 トワエモアのあの歌は戦いの歌だった。初めての世界規模の戦争を「全ての戦争を終わらせる戦争」と呼んだ者がいて、そのすぐにあとにPart IIが始まった。戦争は富国にコントロールに効くともいう。Oh, well, George Orwell.

  Never think that war, no matter how necessary, nor how justified, is not a crime. Ernest Hemingway

 ロバート・フロストの悟りでも持ってこないと収まりがつかない、つくかな、つけば、つくとき。

  In three words I can sum up everything about life: it goes on.

700年立っているわけではない門の横で700年経ってしまったような気のする者の近影。

 帰りに売店で、昔一度話したことのある元マスコットのしいちゃんの小型クリアファイルをゲット。

総門のあたりによくいた、静かな方だった。

Good Night, Sleep Tight ……

とは英語圏の就寝前の挨拶のようなもので、このあと、さらに「アイt」で韻を続け、

  Don’t let the bedbug bite.

と言うこともある。これは子供を相手に半ばユーモアで「bedbugに噛ませるなかれ」ということなのだが、bedbugは「寝台虫」「トコジラミ」「ナンキンムシ」などの名を持つ虫で、それが現在フランスの一部で大量発生しているという。これはマルセーユの町角の様子だ。

説明書きに:

Perhaps Nice is not nice anymore, either. Please excuse my pun.  冗談を言っている場合ではないようだ。大変なことである。

A Funny Little Story from the Internet

人生、間違えることは多々あるし、あったし、この先もあるだろうということは間違いない。が、この際それは問題ではなくて、自分が何かを取り違えたことを英語で言おうとして、I mistook the train/house, etc.のようにmistakeを使っていたことを思い出した。mistake A for Bは「AをBだと思ってしまう」ことで、I mistook that man for Mr. Misuda.(あの男性を三須田さんだと思ってしまった)のように使う。ただ、電車だ家だとなってくると何とも面倒くさい。通常そう言わず、

  I took the wrong train. I went to the wrong house.

のように使うことを知って、英語青年は随分楽になった。

 ただ、よく考えてみると、その電車や家が間違っていたわけではなく、自分が間違っていたわけだが、この言い方がとても楽なので、あまり深く考えないようにしている。

 といったこと全ては、さきほどネット上で次の面白エピソード見つけて、思い出したことだ。

 深く考えてしまった小さな男の子の話だ。

  When my brother was little, he was told his shoes were on the wrong feet. He looked down at them totally confused, then looked up and said, “But these are the only feet I have.” 

この子は間違えていないようだ。