Four O’Clock Flowers at Eight O’Clock

夜の散歩者、香りほのかに漂う小径で立ち止まり、パチッ。

オシロイバナは夕刻に咲くので「4時の花」の名があり、秋風に乗って、どうですか?と語りかけてくる。Not a bad idea.「いいんじゃないですか」と小声で返す秋の夜。香りは朝までという。

若気のun

大昔、be able to の意味を、be unable to でひっくり返せると知り、I’m sorry I’m unable to come tomorrow.と言っていた者が、Sorry I can’t be there/can’t make it/can’t come tomorrow.などと、シャチホコ張らずに話すようになったのは、英語環境で英語を教えたことが大きかったようだ。日本でこうした環境に身を置いたことは、そこへのフォーカスが強まり、よく尋ね、よく学び、よく記した。

仕事や演劇をしながら大学院へ通えたのも、そこが日本校だったからで、英語の講義だったから、枠組み外の人物が、いくつかの枠を知ることができたことは無駄ではなかった。そして、学びのハイライトは何かと訊かれれば、あれこれある中で、unが、

  unlearn

という言葉で、再び現れたことだと答えるだろう。
 これは学ばないことではなくて、「今まで身に付けた、癖、やり方などを離れる。そこに戻らず、新しい姿勢で何かを見、身につける」ことで、このunの付いたlearnは、勉強嫌いの人物にピッタシであったのか、新しい地平が広がる興奮を覚えた。

 unは小さな音だけれど、結構強い意識や意志を要求してくる接頭辞である。例えば、この画像だ。何かが隠れています、見えますか? 一度見えたら、見えないようにすることはできない、とある。ヒントが「身を引いて眼を細める」とある。眼は、クリント・イーストウッドぐらい細めないと行けないかも。30万人の仲間に入ってやってみますか?

 四文字の単語が見えた方は目出度い。けれど、何だかプロパガンダのようでもある。AIに作らせたそうだ。作らせるほうもあれなら、作るほうもなんである。
 私はAIEIOのほうだが、すぐ作っちゃうんだろうな、と思うとさらにEIOが強まる。それはともかく、
卵を割ったら、元に戻せない」、You can’t unbreak an egg.のように使えるunちゃん、ありがとう。

ピザ配達、不死身の新レベル😃

富士の山頂へピザを届けたというニュース。6時間をかけ、売名行為(publicity stunt)との?も何のそのの登頂。「ピザ配達を全く新しいレベル(段階・水準・高さ)へ引き上げた」(took pizza delivery to a whole new level)という美味しいユーモアのトッピングも付いて(キャプション参照)。富士見のデリバラーへのチップはどうだったのかなあ。

Hut in the World Is That?

夜の散歩者が時折眼にする小屋だ。じっと見ているとBGMが聞こえて来そう。昼はまったく目立たない。夜は完全な独り舞台。下りていき中身知りたや夜の小屋。緊急用の何かが入っているのだろう。

自分がどう見えるのか、しかとわからないに違いないが、それはいずこも同じ秋の夕べ。とまれ孫にも衣装、小屋にも灯り。それにしても、この変貌ぶりぞ面妖なり。

80歳の旅立ち

マーティン・スコーセスィーと発音すると自ら語る動画を見て、同監督の話がしやすくなった気がするが、そのスコーセスィー監督のミームが携帯にひょいと出て、あとでと思っているうちに、はるか下方に消えた。パソコンで追跡して発見した。

80歳である。この言葉、十代である。このキャプションの力に、太古の20代によく飲んだ剣菱のように酔うた。繰り返す繰り返す、80歳である。重大な言葉である。この記事は読まず、ただ酔っていようと思ったが、読んでしまった。彼の映画よりは短いが・・・。Martin-san、元気頂きに申し上げ候。