今週末、パフォーマーの土屋さんがワークショップを開催します。
フェイスブックのイベント紹介のページ: https://fb.me/e/1fDWVc1zu
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新井田さんから、記念にと絵が送られてきました。英国留学準備コースの学生さんでした。
英会話の種を蒔き育て続けてきたことをイメージして描いたとのこと。
ありがとうございました!
broadcastという言葉は、「広く種を地面に投げる」という意味で使われていたところ、ラジオ放送のスタートで(1921年、ちなみに日本1925年)、現在の「放送する」という意味になりましたが、それをお伝えすると、盛り上がりました。
この偶然によって、この絵の有り難みは倍になりました!
重ねてありがとうございました!!
何々しようと頑張っているところです。
We’re trying to 何々。
米国のクリントン大統領がよく使ったというこのパターンはその他の人々もそれなりに使っているわけですが、お天気についてコメントするときにも利用されます。
たとえば今朝の空を、
The sun is trying to come out.
もう一息で晴れるのに、ぐずぐずしてもう、といった気持ちを表します。
It’s trying to rain.
なら、泣き出しそうな空模様を表しています。
細切りにするという意味を表すには、
cut 何々 into thin strips
千切りにするは
shred 何々
があるが、もうひとつ、細切り、時に千切りを
julienne
といい、短冊あたりまで許される感もある。発音は「ジュリやn」。料理の本を中心に目に、そして耳にもする。
フランスでは女性の名。
julienne soupは、細切り野菜のクリアスープ。これを考案したシェフの名Julian(男性の名)が名祖でそれが変化したともいうが。
身近な日本料理を英語で伝える料理家の小西清子先生の名著を読んでいたところ、おゝここにも、と目にしたのが、このジュリアンであった。
次の3にあります。
読み進むうちに食べたくなって昼飯のおかずに作ってみた。豆腐の鶏そぼろである。
ところが、ジュリやンする人参も椎茸もなかったので出来たものは蒼白である。
かろうじて万能という名のネギあり。英語ではgreen onionとつつましいが、切って加えた。美味いじゃないか、君、と背中をポンA pat on the back!
それにしても小西さんのご本の写真はみな色艶よし、美味しそう。オカミさんが習いに行っていたときに購入したものが僕にまで役に立っている。
綿雲、特に夕方に色のうっすら付いた雲は、こう呼ばれます。
昨日。1万歩散歩の帰りに。
日本では綿雲、綿菓子雲、綿飴雲が近い。
誰にも否定できないこの至言は19世紀前半に生まれた決まり文句だといいます。
Enjoy material things while you’re alive.(物質的なものは生きている間に楽しむこと)
とThe American Heritage Dictionary of Idiomsにありました。
日本の「持ってけない」の英語版です。
この言葉が人口に膾炙したのは20世紀前半で、ピュリツァー賞受賞の舞台喜劇(1936年)とその映画化(1938年)によってアカデミー作品賞を受賞したYou Can’t Take It with Youの成功で、一挙に大衆文化に定着したということです。日本では『我が家の楽園』という名で公開されています。
私はこの喜劇を学生時代に(英語で)やったことがあります。
思えば人生のスタート時に、この金言に親しむことができたわけです。
ストーリーは、個人主義者たちの一家a family of individualistsの生き様を描いたもので、主のマーティン・ヴァンダーホフの次のセリフに見ることができます。
(兵器工場を経営するMr. Kirbyに向かって)Maybe it’ll stop you trying to be so desperate about making more money than you can ever use. You can’t take it with you, Mr. Kirby. So what good is it?
ひょっとするとそれが、使え切れないほどの金を稼ごうと必死になっているあなたを止めることができるかもしれませんよ、カービーさん。あっちには持って行けませんからね。何かいいところがありますか?
(stop 誰々 from doing somethingはstop 誰々doing somethingとも言えます)
ケーブルで映画や英語ニュース番組などはよく見ているのですが、たまたま通りすがりにどうしても聞き違えてしまうのがタイトルのこれ。
思わず画面を見ると、
『フィアー・ザ・ウォーキング・デッド』
なぜ私の耳では「ウィアー」になってしまうのか。
これは英語の/fɪ/と日本語の/hui/の発音の違いによるもののようだ。というのも、Fear(恐れよ!)の出だしの/f/は強い。一方、「フィヤー」の「フ」HUのHは弱く、Uが強いので「私たちがゾンビで~す!」に(私には)聞こえてしまう。
英語の出だしの子音はおおむね強い、日本語は子音が弱く母音に呑まれがちという両者の傾向が見えます。
時間がある方は、声優になったつもりで、上のタイトルを声に出してみたらどうでしょう。誰もいないときにどうぞ。え? あなたがいる?
Wherever I go, there I am.
そこかな、ひとつのハードルは。いて良いのでは。
P.S. 英語版画像について。theがチョコンと棚に載せられています。機能語はこうして縮められて表記(発音も)されるのが常です。日本語版画像も”付き合って”いますね。
これはよくあることであり、よく言うことなので、面白(い?)ジョークの中で覚えておくのも良いかもしれません。
誰かが、
My battery has/My battery’s run out.(電池が切れました)
もう一人が、
You’d better catch it.(つかまえないと)
run outには「(主語が)なくなってしまう」という意味がありますが、文字通りには、外に走り出るというイメージがあり、そこで「つかまえないと」というひねったフォローがあるわけです。
ここで、主語を携帯にして、My phone’s run out.と言うと、電話が外へ走り出してしまったイメージが強くなり、比喩的な意味が届かないので、
My phone’s run out of battery.
と、分離する意味のofをつかったフレーズが適切ですね。
has を使っていますから、なになにしてしまっててね、なになにしちゃった状態なんです、という気持ちが出ます。
くしゃみは3回がひとつの区切りになるようで、あるコメントに、
I almost always sneeze 3x in a row. Just hold the “bless you” until I’m done.
とあります。xはtimesを表し、Internet lingo(インターネット用語)にもなっていますが、timesと打ったほうが早いかもしれません。「くしゃみはほとんどいつも3回続けてするので、終わるまで例のBless you.はちょっと待ってもらえれば」ということです。Justは、「だからちょっと」「ここはちょっと」といった気持ちを出しています。
これも3ずつするという人のことです。
I have a coworker that always sneezes in threes. I just wait or count along until it’s been there.
「いつも3ずつ(in threes)くしゃみをする職場の同僚がいて、それが終わるところまで待つか数えるかしています」ということ。このin threesは、Examples often come in threes.(例は3つずつ出ることがよくある)のようにも使われますが・・・。
これはある家族での儀式のようなお話です。
After three sneezes and “God bless you”s in my family, we get “Get you act together.” lol
「うちでは、3度くしゃみがあって、いくつか”God bless you”があったあとに、「しっかりしましょう」と言われます(笑)」というコメントもあり、職場でも家庭でも、ハクションコミュニケーションが行われています。
⚫「くしゃみ3回、ルル3錠」というキャッチフレーズもありました。そんなに飲んでよいものだったかどうか今でも不明ですが、1957年スタートのCMとあります。
うむ。理由はともかく、子供時代、たしかにこのCMのフレーズをよくリピートしていました。いやこうしたことは過去形ではないか。
たとえばクレジットカードの”Don’t leave home without it”という文句もよく職場で使われていました。たとえば傘を忘れたといった話が出ると、誰かがパッと言うのです。テレビをほとんど見ない現在は別として、このCMキャッチリピート癖は、子供時代から縷々(るる)として続いていたのでした。
3っつずつの金言:
Best things in life come in threes, like friends, dreams and memories.
なのかな。
この日はキリスト教圏ではAll Saints Day(諸聖人の祝日・万聖節)で、全ての聖人と殉教者を祝福する日となっている。
go off on/at a tangentとは、話題を急に変えることだけれど、saintsと聞くと、子供の頃覚えた易しい英語の歌、When the Saints Go/Come Marching Inを思い出す。といっても、I want to be in that number.は喃語風であったかも。
一番しか知らないので、思い立ったらウィキ日でチェックしたところ、Oh, when the のあとに次々と異なる言葉が現れては、次のように何番も続くのだ。
Oh, when the drums begin to bang…
Oh, when the stars fall from the sky…
Oh, when the moon turns red with blood…
Oh, when the trumpet sounds its call…
Oh, when the horsemen begin to ride…
ドラムが轟き始め、空から星が落ち、月が血で赤く染まり、トランペットが鳴り響き(最後の審判を告げるために)、(黙示録の)騎士たちが走り出し・・・。これ、終末感が漂っていないか。ブラスバンドのよくやる、チンドン屋さんも時々演奏していた、歌番組で締めに英語でよく唄われた、あのお祭りのような曲がこれなのか。
道理で一番だけが繰り返されるわけである。
結論: 歌は一番に限る。
The first verse is always the best.
ルイ・アームストロングは、これを知っていながら、あの不思議な笑顔を絶やさなかったのか。トランペットも吹きながら。
ちなみに、聖者たちが進んで入っていくのは、天国の門The Pearly Gatesであるという。
この「真珠の門」には、星の数ほどジョークがあるけれど、それはいずれまた。
オー・フエン・ザ・センツと、1ペニーの行列として唄っていた無垢なるころぞ懐かしや。
冷静になれば、聖者はマーチーニはやって来ず。ニューオーリンズでもどこでもない。
地に混乱、天上に聖者連なり真珠の門へと消えて行く! だから
”I want to be in that number.” (あの仲間になりたい)
のに違いない。
私は一体いままで何を・・・。一生を棒に振ったようなショックである。一緒に振りませんか、あなた。