夜想です

5分の散歩に出る。9月10日に変わった夜。涼風が吹いてくる。本当に久しぶりのそよ風。遠く過ぎた日々、永遠のようなあの静かな夜たちを思い出させる風。その永遠はしばらく続き、私はミニストップに着いた。

I went out for a five-minute walk.
The night had turned into September 10.
I found myself in a cool breeze-
The first such breeze in a long time.
The kind that reminds you of the days long past,
Of those quiet nights that felt forever.
The eternity lasted awhile-
Then I got to Ministop.

OLD PHOTO OF THE GREAT CONTROLLER OF TIME SECOND ONLY TO ETERNITY

RECENT SHOT OF A FRIEND WHO HAS UNTIL WINTER LIKE ALL THE OTHERS

「コロナ太り」「1回生太り」

Quarantine(隔離、検疫)は「クゥォランティーン」と発音し、アクセントは「クゥォ」にあります。self-quarantineは「自主隔離」で、海外に出られたとしても、行き帰りには、You need to self-quarantine for two weeks.となる。
 この「ティーン」が気に入られたのか、日本で言うところの「コロナ太り」を英語では

  quarantine fifteen

と呼ぶようで、fifteenはポンド(約0.5kg)数。
 GAINを使えば、
  I gained quarantine fifteen.
と言う。

 正確な数字は別の話だが、韻を踏むのが味噌。

 英語には、韻を踏まない
  freshman fifteen
もある。こちらは

 「大学1年太り」 「1回生太り」

 入学・安心・食べたり飲んだり・・・というプロセスが想像される。
豪州では
  Fresher five
というようだ。ただ、この5はキログラム数。

Bran Prix?

どこまで続くぬかるみそ 洗い過ぎれば塩が抜け 洗わざればただ口曲がり ぬか喜びもつかぬ間に 茄子すべもなく混ぜ返し 運の月夜となりにけり

- 胡瓜思ひつきて

                       

「もっと健康が起こる」?

Attention-getting、eye-catchingは広告界の合い言葉だと言って間違いないでしょう。文法ルールを破るというのも一つの手。日本では「美味しいが恋しい人に」(自作かと 思えばヒット 十あまり)のような形容詞主語的キャッチはごまんとあり、英語圏でもたまに次のような作品が登場します。

よく見るとmakeの目的語にもなっている。形容しがたいワードアドベンチャー。

残暑お見舞い 紫蘇に一句とリムリック

残暑あるいは猛残酷暑中お見舞いを。
しばらく前、気温上昇につれ、べランダの紫蘇を一枚、また一枚と食したくなったのは、その味が「涼」につながるという想いからだったのか。チキンサンドにまで紫蘇を載せてしまったことも。美味しい。葉が増えるのを汗にじませて待っている頃を想って一苦。梅にも感謝しつつ。

紫蘇一葉 一葉毎の 暑さ哉

リムリック limerick は詩人エドワード・リアが広めた詩作法で、脚韻は
   AABBA
 一行目に主人公が紹介され、その人物の住む地名が来ることが多く、内容はナンセンスに徹したもの。最後の行で脚韻を苦しく踏むところも味噌。risqueというかbawdyなものも多く、映画『ジョーズ』ではロバート・ショーが詠んでいます(彼は『ロシアより愛を込めて』以来のファンで誕生日が同じことも嬉し)。
 リアはアングルを変えて試作し、子供まで巻き込んだことが偉業。歴史にその名を残しました。(この巻き込み手法はルイス・キャロルへの影響の大きな部分を占めているのかも)
 小生も太古に彼のA Book of Nonsenseをイラストと共に愛読しました。ここで一葉さんに因んで一苦。

There was an old man in Tokyo,
Who said, “I can’t live without shiso!”
 He filled his gar-den with it
 But he wasn’t quite done with it.
He even grew some shiso on his see-saw!

東京にある老人がおった
「紫蘇なしでは生きられん!」と言った
 庭をそれで一杯にし
 でもそれで終わらずに
紫蘇をシーソーの上でも育ておった!

リアのリムリック群は

http://www.gutenberg.org/files/982/982-h/982-h.htm

うまくいきませんでした、と言わない英語

予定した物事がうまく行かないという世の流れが続いています。Did you have a nice family trip? How did the event go? といった質問に、We couldn’t …. We failed to …. Unfortunately, it was ….といった暗く真っ正直な報告!という感じの返事をしがちです。気分をすこし変えて、主語をitで、

 It didn’t happen.

という言い回しが可能です。「それは起こりませんでした」と直訳すると奇妙ですが、「実現しませんでした」あたりでよいでしょう。

 I/We’ll make it happen.

なら、「実現するぞ、やるぞ」的なガンバリ表現になります。

 I want to see it happen.

だと、「実現するのを楽しみにしたい」といった気持です。

久々の円覚寺。I made it happen.

I was here.

茶屋への石段で。語源説は複数あるも、しだれているからだと強く思う。

微笑ましき翻訳機

あの太古に出た、M・マクルーハンの『メディアはマッサージである』をめくっていると、フィラデルフィア市にある、The Fairmount Water Worksという元上水場の写真が現れ、何とも不思議な光景なのでオンラインする(勝手動詞)と200年も前の建物らしく、チャールズ・ディケンズも称賛したとのこと。あれこれチェックしているうちに、Tripadvisorのサイトに迷い込みました。旅行者が元上水場の感想を書いていますが、その中のひとつを呼んで、日本語が混乱気味だぞと思ったら、このページのこメントはすべて日本人の、あるいは英語から自動翻訳されたものでした。以下、まずその和文ですが、「優秀な少し停止します」という部分が突出していたので、英語の原文をチェックしたところ、スマイル。「ちょっと寄るのにピッタリの場所」とでも。翻訳機も頑張っています。 (「アラロッキーバルボア」というのは、ロッキー・バルボア式に、という意味で、この町が舞台のあの『ロッキー』の名場面を真似てということです。)一人でじっくり、グループでわいわい、こうした翻訳機翻訳批評をするのも面白いかももしれません。
 まず日本語に翻訳されたものから。

AFTER:

うわー!偶然見つけて、私たちにとって素晴らしい宝石! 美術館で階段(アラロッキーバルボア)を駆け上がった後、私たちは美術館の後ろの公園を散歩することにしました。私たちはこの無料の水道博物館を見つけました。優秀な少し停止します。たくさんのインタラクティブな活動。私の年長の子供たち(13歳と11歳)への関心を抱きました。

BEFORE:

Wow! Accidental find, great gem for us! After running up the steps (ala Rocky Balboa) at the Art Museum we decided to walk around the park behind the museum. We found this FREE water works museum. Excellent little stop. Lots of interactive activities. Held the interest for my older children (ages 13 and 11).

https://www.tripadvisor.jp/Attraction_Review-g60795-d312467-Reviews-Fairmount_Water_Works_Interpretive_Education_Center-Philadelphia_Pennsylvania.html

this is a mask

中学で学んだ英文で、すでに英語の代名詞(英語文法の代名詞ではなく日本語の意味での)となっていたのがThis is a pen.でした。

現在、

This is a mask.

で始まるビデオをネット等でいくつか見ることができます。米国ではマスクがpoliticized(政治的に使われて・政治戦略化して)いることもあり、この「これはマスクです」のあとに、二大政党の見解が加わった説明があったりします。興味があればGo online!

This is not a mask.

というものもあり、どう持って行くのか興味があるという方はやはりJust go online. いずれにしても、何かの始まりとしての「This is a 何々.」は効き目大のようです。

それにつけても、This is a pen.で終わってしまった自分を思い出します。

思えば当時は「ペン」といえばボールペンでなく万年筆が主流。今はpenと言えば両者だがballpoint penが主流。Do you have a pen?と言われて、No. I have a ballpoint, though.という答えは聞かない。

巻き戻して、当時はpenが万年筆だったから中学一年には身近ではなく、That is a pen.ともいうべき距離感があり、It is my Dad’s pen.だった。

This is a pencil.だったらよかったかも。身近感(はは)はパワー。当時は鉛筆がエッセンシャルであり、This is a pencil. で始まっていたら、It’s my pencil. I have several pencils in my pencil case. This is one of them. Actually, this pencil is shorter than the others. It’s the shortest. But that doesn’t mean that I’m throwing it away. I’m going to use it till it gets too short to hold. Then I’ll use a pencil holder for it until I can write no more. などと、英語を学ぶにつれ書き進めていたかもしれない。万年筆も持たぬ中学生たちが、「これはペンである」と、哲学者のような1文を言い続けてイディオムにしてしまった私たちは皆「一文文法」の回路を持っているのかもしれない。待てば回路は滞る。

それにしても最近は静物すら慌ただしい。

Still Life with a Mask